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風の中の小鳥

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「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作大手拓次)私なぎの物思いの幾つかを・・・

奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラム

6月27日(土曜日)奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラムの
「巫女装束と十二単」を受けに春日大社に行ってきました。
春日大社の権禰宜岩城隆弘氏がこの日の講師で、宝物殿そばの「感謝・共生の館」で
午前十時から行われました。
今回は、春日大社のセミナーに便乗っていうことらしくて、結構広い会場に参加者もたくさんですが、
内容が十二単だけに女性が8割ぐらいで、yumekoさんも参加されてました☆

奈良は朝からカンカン照りですが、まずはお春日さんにお参り。
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春日大社は春日山を背景に西北南の三方から参道が伸び、
地形を生かした境内には60余りの神社があります。
本殿、拝殿は一直線に並ぶのではなく、むしろ正面を外すように建っていますが、
これは正面からの参拝は恐れ多いから。
神さんにメンチ切ったらあかんのね(まぁ、私としたことが、なんという言葉づかいを…)(汗)

朱塗りの柱が美しい回廊は、土地の高低差をそのままにして建てられているため、
垂木も正方形ではなくて、菱形。
自然を大切にしたいかにも日本的なやり方ですね。
回廊には約一千基の釣り燈籠が奉納されていますが、
その中に最近話題の直江兼続が関ヶ原前夜の1600年に奉納したものを発見!
上杉氏は藤原氏の出身で、例の春日山城ってこの春日から来てるらしいとのことでした。
つまぶきくん、ここにも来たのかしら?(う~~ん、ちが~~う??!!)
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この杉、直会殿の屋根を突き破って生えてます。
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式年遷宮の時にも、同じように突き破ったまま建て直されるそうです。
面白いですね~。
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さて、会場に戻って講義の始まりです。

日本における装束の明文化は、603年に聖徳太子によって定められた冠位十二階がその始まりで、
冠の色が身分によって決められました。
遣隋使や遣唐使によって中国の影響を受けたと思われますが、
このころは高松塚の壁画に見られるようなものを着てたんでしょうね。
その後、養老令の「衣服令」などを経て、719年、着物が右前にと定められました。
それまでの左前は、騎馬民族が矢を射る時に衣服が邪魔にならないようにしたものなんですが、
時代が下って中国において騎馬民族が野蛮という認識が広まって、左前が衰退したせい、だそうです。

平安時代に入って、国風文化が盛んになり中国の影響から脱して、
現在の十二単の原型が出来上がりました。
ただこのころの十二単は「柔装束(なえしょうぞく)」と呼ばれていて、
35デニールぐらいの細い絹糸で織られた透けるような薄さの、
糊がきいていない柔らかいものだったそうで、それを時には20枚も重ねて着たそうです。

平安時代後期鳥羽上皇のころ、源有仁によって装束に革命が起きました。
生地を厚く、糊をきかせた「剛装束(こわしょうぞく)」が誕生したのです。
そしてこの剛装束は固くて一人で着るのが難しかったことから、
それを着付ける方法「衣紋道」が生まれ、山科家と高倉家によって現在へと伝わっています。
ちなみに、山科流は身分の高い人のためのもので着崩れやすいけれど優雅、
高倉流は家来向きで着崩れにくい、という特徴があるそうです。
また、着付けは、前衣紋、後衣紋の二人で行い、山科流では二人とも無言で、
前衣紋の人は立ち上がれないらしい…時には足がつるそうです…・
どちらにしても、装束は高貴な人のもので、上手に苦しくなく着せるのが大事、とか。
そりゃそうですよね。

室町時代以後は「風流(ふりゅう)」といわれる装束の乱れがあり、
やがて応仁の乱がおきて京は戦場となりましたが、衣紋道は奈良で細々と伝来しました。

正面には春日大社の巫女装束がかけられていました!
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大和舞や神楽など神様の前で舞う時の装束は白いものでこれが正装なんですが、
その中でも、一人舞のときには一重衣(ひとえぎぬ)という白地に金の藤丸を縫い取ったもの(向かって左)、二人舞のときは白地に赤の丸紋を着て(右)、
どちらも緋の長袴をはいたそうです。
で、一人舞が一番高位の巫女さん、次が二人舞、切袴を着て沢山で舞うのはシタッパ(笑)
お宮参りのときの巫女さんは切袴だったような…・
この巫女装束は大正時代以降の形式で、
袖口と襟には三重に重なった「おめり」と呼ばれる裏地が見えているんですが、
十二単ではこれを「なかべ」と呼んで二色だったとか。
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なかべは縫い方が難しいから廃止になったんですって・・・・・
色の入った装束は舞楽という人の前で舞う時のものだそうです。

十二単は、正式には「五衣、唐衣、裳の服」というそうです。
このたたまれたものが十二単ですね。
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いちばん上の濃い紫のものが袴ですが、
既婚者は緋、未婚者は紫(濃こき)の袴をはいたそうな。
つまり、これは未婚者用の一そろいですね。
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左がおすべらかし、右は垂れ髪。垂らしてる方が古い髪形ですね。

このあと十二単の説明を聞いた後で、午後から十二単を着るお嬢さんを決めて、お昼ごはん。
春日荷茶屋のお粥です…これは赤米と小豆のおかゆ。
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美味しかったですよ!

では、着付けの始まり始まり!
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下着に小袖を重ねて、これだけでも今なら正装??

袴と小袖を着たうえに、着ている緑のものが「単(ひとえ)」で菱形の地紋(先間菱)があります。
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その上に五衣を重ねるんですが、「柔装束」のときは20枚も重ねたっていうのがこれですね。
これは「山吹の匂(におう)」という色合わせ。
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「匂」は同系色のグラデーションのことで、「村濃(むらご)」は、違う色同士の組み合わせ、
「薄様(薄様)」というのは同系色のグラデーションで最後が白になるらしい。
何とも優雅な呼び方です~♪

これは「打衣」ですが砧で打って艶を出してあるそうです。いい色だわ~☆
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表着(うわぎ)を重ねます。
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下に着た五つ衣や打ち着を隠さないように小さめに仕立てられてて、
しかも裏地が表地より少し出ているんですよ。
生地は綾織ですが身分が高いと「二倍(ふたえ)織物」が使われました。
ここまで、一枚着ると仮紐をかけて、次を着るとそれをほどくという繰り返しで、
結局一本も紐は締まってない!

見た目は「大奥」の打ち掛けみたいですが、

十二単はこの上から「唐衣」を重ねます。
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短い上に襟を折り返す、という不思議な形!

しかも、その上から「裳」を付けるんですが、これは後ろだけの長いスカートみたいなもの。
ここで初めて紐を一本きっちり結んで(小紐)
その上に刺繍の入った帯(小腰)を結びます。
これだけで十二単は止まってるんですよ!

桧扇を持って、さあ、出来上がりです!!
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横から見た十二単。
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ちなみに、足袋ではなく「しとうず」という先丸のものを履いたんだそうで、
外出の時でも履物は履かず、車を座敷に横付けさせたのか、
車まで畳を敷いたのか、とにかく地面は踏まなかったんですって。

この「裳」の模様は二年ねかした糊に緑青を溶かした染料で捺染した
「青摺り」と呼ばれる技法で、洗うときれいに落ちて白絹に戻るそうです!
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後姿が何とも素敵です☆

モデルのお嬢さんは、とっても姿のいいきれいな方で、十二単がよくお似合いでしたが、
彼女によると、足がつりそうなほど重いらしい(汗)。
8キロほどあるそうです・・・・
昔のお姫様って大変…・

着物好きの私にはほんとに興味深い講座でした!

そのあと、yumekoさんと一緒に宝物殿に入り、「春日権現記絵巻」を見ました。
江戸時代の写本だそうですが、彩色がとてもきれいなのと、庶民の生活も描かれてて、
予想以上に面白かった!
他にも国宝がいくつかと十二単のお姫様の絵もあって、復習ができましたわ~。

Yumekoさんのご厚意に甘えて近鉄奈良駅まで乗せていただきました。
ありがとうございました☆
Commented by ゆず at 2009-06-29 20:03 x
なぎさんにぴったりの講座でしたね。

荘厳で華麗、
前からはよく見かけるのですが、
後姿もすごく綺麗ですね。
紐が最後の1本だけとは驚きました。

昔のお姫様は大変だったのでしょうね。
Commented by sana at 2009-06-29 21:29 x
うっわあ、巫女装束に十二単!?
巫女装束のことは何も知らないので、お勉強になりました!
豪華なのもあるんですね~。

十二単のことは大体の所は知ってますが…
昔はすごく薄い布だったんですか、なるほど!それは知りませんでした。確かに始まりはそうだったんでしょうね~。鎌倉時代とは違いますよね。
唐衣は、中国渡りの金襴て少ししかなかったから、小さい上着で一番上に着て見せたらしいです。
あ~本物、見た~い!!
写真、ステキです。いい色合いですよね…薄様っていいですね。見せて頂けて、嬉しいです~。
着た方も見た方も、うらやましいわぁ~(^o^)/"
Commented by nagiwi at 2009-06-29 22:50
ゆずさん
とっても楽しい講座でした☆
十二単って、後ろにあんな裳をつけてるなんて知りませんでしたが、そう言えば百人一首のお姫様の絵にも描かれてました・・・
知ってるつもりで知らないことって、ほんとにたくさんありますよね~。

昔のお姫様の着物って、重いし動きにくいし、来てるだけでも重労働だったんですねえ。
Commented by nagiwi at 2009-06-29 23:00
sanaさん
巫女装束って、十二単の変形したものなんですねえ。
春日大社の巫女は位が高いので、装束も豪華なんですって!

栄華物語に20枚重ねたという記述があるそうですよ<袿
薄い袿を重ねて下の色目が透けて見えるのも綺麗だったでしょうね~♪
見てみたいわあ☆

モデルさん希望者は数名いらっしゃったんですが、じゃんけんでこの方が選ばれました。
春日大社では十二単での結婚式もやってらっしゃるそうで、着付けがとってもお上手でした。
私も着てみたかったわ・・・もう一度結婚式をして着てみるかな?(爆)


十二単の唐衣が小さいのは、金らんが貴重だったからなんですか!なるほど!!
Commented by yumeko at 2009-06-30 00:33 x
先日は宝物殿までご一緒できてとても楽しかったです。
なぎさんにピッタリの体験学習でしたね(笑)
ブログも素晴らしい記事で、お勉強されているなぎさんを見習いたいと思います。
日曜日の山の辺の道考古学講座はお天気に恵まれ過ぎて暑くてへとへとになりました。 5月の方が爽やかで良かったのではないでしょうか・・・
またお目にかかれるのを楽しみにしていますね♪
ありがとうございました。
Commented by nagiwi at 2009-06-30 10:44
yumekoさん
いらっしゃいませ☆
宝物殿は初めて入りましたが、思ったよりずっと充実した内容で良かったですね!
何しろ整理整頓が苦手な性格なので、お習いしてきたことを全部このブログにまとめておくことにしてます。
でないと後でノートを探せないんです~(汗)
日曜は雨が降るかと思ったら、すっかりいいお天気で、暑かったでしょうね!
お疲れ様でした。
またご一緒させてくださいね。
ありがとうございました☆
Commented by りぃ at 2009-06-30 18:04 x
美しいですねぇー!見たかったなぁ!
こういうのを見ると、いつぞやT先生にはたき落とされた幻の卒論計画を思い出します。
やっぱり国風装束のことを詳しく勉強してみたいなぁ。
Commented by nagiwi at 2009-06-30 19:17
りぃさん
何より後ろ姿がきれいでしたよ~。
十二単がウエストマークのスカートつきだったなんて、びっくりでした☆
私的には薄い衣を何枚も重ねる柔装束が見てみたかったわ。
下の色がほのかにすきとおった袿・・・・色っぽい感じがしませんか♪
うらめしや~T先生、ってね(ニヤリ)
Commented by 独楽 at 2009-07-03 02:02 x
う~~~ん行きたかったなあ・・・。でもなぎさんとyumekoさんのブログでかなり雰囲気がわかり嬉しいです。いい講座でしたね。
Commented by marie004 at 2009-07-03 06:39 x
十二単といえば、皇室のかたがご結婚のときに重そうに着てらっしゃる物~という印象ですが、やっぱり重いんですねえ。わたしは、以前お姫さまたちはほとんど寝そべっている状態でお部屋で休んでいたと聞きましたが、本当かな?
裳のことはおひな様の後ろになんかあるなあと思っていたのですが、お写真で拝見するとウエディングドレスみたいに長いんですねえ! なんのためにあるのかしら? 裳裾を引きずるのが優雅だからかしら。薄い衣を何枚も重ねる…いいですねえ! それこそ天女の羽衣のように身動きするたびにふわふわ揺れたんでしょうか?
Commented by nagiwi at 2009-07-03 20:51
独楽さん
ご一緒したかったですねえ。
十二単の着付けを目の前で見るっていうのはめったにないことですし、興味深くていい講座でしたよ♪
機会がありましたら、ぜひ!
Commented by nagiwi at 2009-07-03 20:57
marieさん
あんなに重い十二単を着たら、とっても動けないでしょうし、ほとんど寝そべってるって、当然だと思います!
逆に考えたら、あんなに重いものを毎日担いでる(笑)んだから、結構足腰が強かったのかも???

あの裳は、昔は前のほうまであって、ほとんどスカート状態らしかったのが、動きにくいという理由からか、後ろだけになったらしいです。
ウエディングドレスのトレーンみたいできれいですよね。
春日大社の着付けはとっても上手で、先日の某女優さんが結婚式で着たのより、ずっと格好がよかったです・…もっと言うと、皇室のより、かも・・・・

薄い衣の袖や裾が動くたびに揺れたら、とってもきれいでしょうね~(うっとり)
Commented by lilakimono at 2009-07-05 04:30
面白いですねぇ・・・・・
こんなに重なって見えるんですもの、この色使いがモテ要素だったってのも大いに納得です。
大昔の女性、特にやんごとなきお方たちはさぞ小さく体力も無かったと思われますのに、この装束着ていたというのがとっても不思議な気がします。

奈良の昔を傍からお勉強させてもらうたびに感じるのですが、日本って素敵にすごい国なんですよね~。
Commented by nagiwi at 2009-07-05 21:20
りらさん
この襟元やなんかの色合わせの絶妙さって、着物ならでは、ですよね~♪
しかもその色目の呼び方がまた素敵。
梅とか山吹とか花の名前が多いですけど、同じ梅でも、梅がさねと紅梅がさねがあるんですよね。
日本人の季節や色に関する感性の鋭さって、他に類を見ないんじゃないでしょうか。

が、しかし、なんでこんな重いものを着てたんでしょうね?
Commented by lilakimono at 2009-07-06 01:44
もしかして、拘束の為とか~??>こんな重いものを
あ、通い婚だと拘束の必要は無いのか~?
いずれにせよ、なよなよっと見せる為なんでしょうね。
Commented by nagiwi at 2009-07-07 14:27
りらさん
ま、このころの結婚に女性の合意がある場合はまれで、ほとんど無理やりだったと瀬戸内寂聴さんはおっしゃってます・・・・通い婚とは言いながら、周りが全部お膳立てして、お姫様は嫌とは言えなかったらしい。
その上8キロもある着物を着たら、どんな嫌な相手でも、とっても逃げられないでしょうね…
by nagiwi | 2009-06-29 01:24 | まほろば検定 | Comments(16)

「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作大手拓次)私なぎの物思いの幾つかを・・・


by nagiwi