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平城宮跡の続き&三日目

昨日の平城宮跡の写真の続きです。

これは造酒司の井戸。
井戸枠や周辺は樹脂で固めてありますが、
覆い屋は出土しなかったので現代風に作ってあるとのこと。
出土しないものを中途半端に想像で復原しない、って言うことなんですね。
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これは大垣と門の復原したもの。
こういうのが都をぐるっと取り巻いてたんですね。
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平城京では、政治をつかさどるところは朱塗りの柱に瓦葺、
生活空間では白木の柱に萱葺きだったそうです。うむ、なるほど。
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これは大極殿の復原模型。
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先生のお話を聞いてから見ると、これまでとはまるで違うものが見えました♪

さて、今日の午前中は千田先生のご専門の
小牧城とその城下町の復元事例を通じて、ポスター発表のための研究構成を学んだ。
すごく面白かったのと同時に、
先生が学生のときに書かれたという、地籍図から作った復原地図を見て、絶句。
すごすぎる!!
隣の席の方と、
「やっぱり、出来る人は学生の頃から出来るのね~」「どんな子供やったんかしら」
と、話しました。
講義の構成やプリントからも、
洒脱な見かけの下にとても緻密な先生が隠れてるらしい、のが伺えるよ(にっこり)。

午後からはポスター製作。
今日が始めての演習という人と、私のように二回目、という人も居るので
私はちょっとゆっくりした気分。
この間から、二つのテーマの間で悩んでたんですが、
ギモンがどんどん広まって興味が尽きない「島の山古墳」をテーマにすることを決心。
ナントカやっつけました。
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これを卒論のテーマにしようかな・・・と考えてます。

まあ、何しろ、泥縄、場当たり的性格の私のことだから、
どうかした拍子に気が変わるかもしれませんけど、ね(笑)。
Commented by massay at 2005-09-20 10:44 x
千田先生って、千田嘉博先生ですか? お城が専門、ということでそうかな、と思ったのですが。むか〜し、取材をさせていただいたことがあります。国立民族学博物館でした。
Commented by marie004 at 2005-09-20 21:44 x
島の山古墳とは、あまり聞き慣れない名なんですが、奈良にある古墳なんですか?
どんなギモンがあるのか、さしつかえなかったら教えてください。
Commented by なぎ at 2005-09-20 23:53 x
massayさん
そう、その千田嘉博先生です!インタビュー、されたんですか、面白いオハナシだったでしょ?千田先生は、この大学の出身で、お城を考古学的な方法で研究する人としては第一人者なんですって。って言うか、「彼の前に道はなく、彼の後に道ができた」、って言うぐらいらしい。
でも、ほんとに若いの~。

marieさん
島の山古墳は、奈良県内にあって、昔は蘇我入鹿の墓と言われてたらしい。、発掘してみたら、お棺の上に粘土を盛ってその上に100以上の腕輪の形の石製品を貼り付けてあったんですよ。こんなに沢山の腕輪型石製品が出たのは、他に類を見ません。被葬者の鎮魂のためか、それとも祭礼儀式のためか・・・しかも、その石製品、緑色で艶々として、とっても綺麗なの。どうしてこんなことしたんだろう?って言うのが最大のギモンですね。
Commented by 古代夢追塾 西村 at 2005-09-21 20:24 x
毎日2000.5.19。「はにわ内に矢じり」川西町教委発表。島の山古墳の埴輪列から約15cmの鉄鏃が収まったはにわを1つ見つけた、と発表。埋葬の最後にはにわの内側の土に矢を刺すことで、墳丘の内と外を画する意味があったと推定できるという。東側のくびれ部下段から見つかった13個のうちの1個から。・・要約
 やっとブログにコメントを書くことを覚えました。
Commented by marie004 at 2005-09-21 21:26 x
蘇我入鹿の首塚とか伝えられる石塔は見たことがあります。
蘇我氏は謎の多い一族ですが、蝦夷にしても入鹿も名前がへん~
ほかの古墳には見られない特徴ということなら、被葬者が外国人(帰化人はこの時代多いですが)ということでしょうか? 韓国の古墳なんかでは同じような例はないんですか?
Commented by なぎ at 2005-09-22 00:41 x
古代夢追塾様
ようこそいらっしゃいませ☆島の山情報、有難うございます!!
そうか、毎日新聞に載ってたんですね。早速ネット検索してみたら、無事ヒットしました。こういう風に矢が刺さった埴輪って、他にも見られるのかなあ。一つ疑問が解けると、それに関して新たな疑問がわいてきて、きりがないですね。でも、それが楽しいところでもありますよね。
ブログの書き込み、難しいですか?
これからも時々おいでくださいませね。

marieさん
首塚は飛鳥寺のところにありますよね。
入鹿って名前は、反逆者となってから付けられた蔑称だって、聞いたことがあったような。記憶違いかな?

帰化人・・・・副葬品にはそれを窺わせるものはないみたい。
この石製品は、一般的には棺内に数個から多くて十個ぐらい入ってるんですが、ここでは、棺外から100個以上出土してて、類例がないようです。
Commented by 茶葉 at 2005-09-22 02:20 x
島の山古墳ってなんか可愛い響きだけど~蘇我入鹿のお墓だったかも知れないなんて~興味津々です!
開けてみたら具体的な証拠が何もなかったということでしょうか? でも、偉い人の墓には違いありませんよね。

>古代夢追塾様
矢が刺さった埴輪なんて…初めて知りました。全然想像できないことで、面白いですねえ!

>marieさん、
首塚は当時の宮殿から600m離れているとか。そこまで首が吹っ飛んだという伝説らしいですね(^^;

確かに蘇我一族は変わった名前なんですが~当時の他の人の名前も今の感覚では理解できないの多いです…
ちょっと検索してみたら、なんでも6代前に渡来してきたらしいです。こんなふうに~
満智----韓子----高麗----稲目----馬子----蝦夷----入鹿
蘇我入鹿は別名・大郎とか鞍作ともいうらしいですよ。
ただ、入鹿という名は他の人にもあるらしいです。3人例があったとか調べた方が(^^)
Commented by なぎ at 2005-09-22 10:25 x
茶葉さん
皇后陵だと言う説もあるみたいなんですが、出土品からは具体的な被葬者を特定できなかったんですよ。ただ、女性だったんじゃないかなあ、って言う説があって、そこも魅力の一つです。

蘇我一族の名前、こうやってずらっと並べるとオモシロイですねえ!
まあ、渡来人だからナントカ麿とは言わないのはわかりますし、考えてみたら「鎌足」なんてのも、変な名前(笑)。
で、入鹿って言う名前の人が他にいたんですね。
じゃあ、蔑称じゃなかったんだ・・・
by nagiwi | 2005-09-19 20:51 | 学校 | Comments(8)

「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作高橋睦郎・・・多分)私なぎの物思いの幾つかを・・・


by nagiwi