24日、飛鳥京跡苑池の県立橿原考古学研究所第8次説明会があったので、行ってきました☆

万葉文化館でバスを降りて吉野川分水に沿って飛鳥川に向かって歩いて行くと、そこが現場
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飛鳥京跡苑池では、南池の北部分の中にある島の全体が発掘されたのですが、この日は池に水が張られていて、その中央には島があるんですが、その形が雲とも鳥ともつかない不思議な形でした。
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 苑池には南北二つの池があって、そこから北へ向かって排水用と思われる水路が伸びています。
これが水路跡。
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南北の池は渡堤で区切られていて、南池は南北55メートル、東西65メートル、面積2200平方メートルで左右対称の五角形。
五角形の池と言うのは他に類例を見ないそうで、池の底には大きさのそろった石が敷き詰められていました。
島の北側に、2本の木柱ともう2本の柱跡が確認され、せり出したテラスのような施設があったと思われます。
残った柱の下から30センチぐらいのところで色が変わっていることから、池の水深は30センチぐらいだったらしくて。
このことから、この池は船を浮かべたりしたのではなく、池の底に敷きつめた石の美しさを楽しんだのではないか、とのことでした。

南池南東部の丘からは掘っ立て柱建物跡が見つかり、このあたりから池を眺めて楽しんでいたとみられるそうです。
こんな感じ。
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その南側からは塀の柱列跡も一部みつかったことから、この池はぐるっと塀に取り囲まれていたらしい。
全体像はこうなるそうです。
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苑池は内郭と呼ばれる飛鳥京跡の北西100メートルの飛鳥川東岸にあるんですが、1999年に南池南部分が見つかりました。
その現地説明会に参加し、たいそう感動したのを今もはっきり覚えています。
苑池の底には平らな石が敷き詰められ、石積みの護岸が築かれていました。
池の中には、大きめの石が積み上げた島があって、石造りの噴水が。
説明会は、確か6月の暑い日だったんですが、説明の中で、池に水が注がれると、それまで泥にまみれていた池の底石が洗われて白く輝き、す~っと涼しい風が吹いたのを覚えています。

この池は、7世紀中頃(斉明天皇の時代ごろ)に整備せれ、天武天皇の時代に改修されたと思われ、日本書紀に天武天皇が外国からに賓客を迎えて「白錦後苑(しらにしきのみその)」に行幸した、と言う記述に一致するのでは、と言われています。

この池の周りを天武天皇と額田王が歩いたこともあるかも・・・・・
その同じ池を私も見ているのだ、と思うと、心震える思いでした。

これは、橿考研のマスコットの「いわみん」
石見遺跡から出土した埴輪の男の子だそうです・・・・・・う~~~ん・・・・
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飛鳥の秋の風情
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橘寺の添柱孔
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by nagiwi | 2013-12-01 01:59 | 現地説明会 | Comments(0)
2月6日、飛鳥板葺の宮跡近くの飛鳥京跡苑池で、現地説明会がありました。
これは、復元整備にともなう調査によって、北池の北東コーナーが検出され、その東側では砂利敷きや石組溝などが出土したものです。

この日はいろんな用事が重なって、行けるかどうかわからなかったんですが、是非とも見たかったのでお昼御飯をカットしてなんとか行ってきました。
で、、現地に着いたら、前から来る人に見覚えが!
飛鳥の現説で出会う人、と言ったら、朱雀さんに決まってます~(笑)
朱雀さんはもう見学を終えられたようで、御挨拶だけして行きかいました。
しかし・・・現説でお目にかかるのは、何回目だ???(笑)

この飛鳥苑池は、1999年に、南北約55メートル、東西約60メートルの大きな南池が出土し、考古学ファンを驚かせたのが始まりでした。
このときの現地説明会には私も行きましたが、それはもう、ものすご~~い人出で。

池の底には丸い石が敷き詰められ、真中には噴水が立てられ、その口から流れ出した水が池にたまると、それまで底石に付いていた泥が洗い流されて、光が白い石にきらきらと反射して、さわやかな風がさ~っと吹きわたりました。
・・・・・その一瞬、そこに袖を風になびかせる都人の姿が見えたような気が・・・・・

その後も継続して調査が行われ、今度が第五次調査。
そして池の範囲は、どんどん北に広がって、北池と南池の二つの池と水路の遺構が発見されたんですが、今回の調査で、その北池の北の端が見つかって、池の範囲が確定しました。
北池の規模は南北54メートル、東西36メートル・・・・大きいですね~~!!

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北側から池跡と板葺宮跡を見た航空写真。
こうしてみると池の遺構がとっても大きいのが良くわかりますね。
実際、板葺の宮跡の内郭より池の遺構の方が大きいそうです…
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これまでの調査をつなぎ合わせた合成写真。
北池と南池は渡堤で区切られ、北池の深さは3メートル、南池の深さは1メートル。
南池には石造物があったんですよね。
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これが池の北東角を確定する石積み。
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池の底石がわかるでしょうか。
南池より大きな平たい石が引いてある感じです。

池の水は、池の底からコンコンと湧きでてくるそうで、余った水は水路で飛鳥川に流してた、と言うことになるんでしょうか。

池の東側の周りには石敷きの広場と、溝跡もありました。
広くて平坦なこの辺りは、宮にも近いうえ、川を隔てて甘樫の丘が望めるという景観の良さ。
そこはまた、充分な水がわき出して、王宮の庭園にふさわしい場所だったんでしょうね☆
・・・・この池のほとりで、額田王が歌を詠んだこともあったのかしら…・・・と、ロマンティックな物思いにふけりながら、帰途に就きました。

ほんとは、飛鳥坐神社のおんだ祭りを見たかったんですが、時間がなくて。
ちょっぴり残念でしたが、あれを見ると折角のロマンティックな気分が壊れたかも???(笑)
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by nagiwi | 2011-02-07 23:56 | 現地説明会 | Comments(2)
御所市の古墳時代前期の集落跡から、
方形に巡らされた板塀とその中の住居跡と思われるものが見つかって、
現地説明会があったので行ってきました。

場所はJR玉手駅から歩いて半時間ぐらいの所なんですが、
この御所市と言うところは葛城氏の根拠地とされていて、そこらじゅうに古墳やら遺跡やら神社があるのに、
今回遺跡が発掘された秋津小学校近辺は、これまでは遺跡の空白地帯だったそうで。
半年ほど前、京奈和自動車道路の工事のために試し掘りをしたら、ワンサカ遺跡が出てきて、
「秋津遺跡」と名付けたそうです。

朝からいいお天気で現説日和だったんですが、この御所と言うところ、
我が家からだと、ちょっと不便・・・・
いや、JRに乗ってしまえば45分ぐらいなんですが、そのJRが一時間に一本(笑)
こ~ゆ~場合、問題は帰りよね~、と思いながら、出かけました。
JR玉手駅では例によって沢山の同行の士が下車。
ちゃんと「現地説明会はこちら」の張り紙と、案内の方がいて下さり、その案内通りにぶらぶら歩いて行くと
到着したころは、すっかりぽかぽか暖まりました。

これが遺跡の全景です。
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この遺構は、20センチほどの溝を挟んだ柱穴の列が二重になって、区画を囲んでいる。
そういう区画が三つ出土してて、一番大きいものは南北18メートル以上、東西40メートル以上 !

土坑の形から、溝には約15センチ厚さの板をびっしり並べ、その両側を柱と横木で挟んで塀にしたらしい。
柱を埋めた深さから、塀の高さが推測できるそうなんですが、
その方法によると塀の高さは2メートル位と推測でき、塀の内側で竪穴式の建物跡も見つかったそうです。
で、その形状から、八尾市の心合寺山古墳で出土した、祭祀場をかたどった埴輪のモデルになったとみられるそうな。
その埴輪はこれ。
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説明によりますと、この塀は、政治や祭りを行う神聖な空間を囲んでいたと推測されるそうで。
塀のイメージはこんな風だそうです…
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これがその塀の遺構
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遺構近くの流路跡では、祭祀の道具と思われる小型のつぼなどが多く捨てられていた。
流路跡。
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遺物がたくさん出土した地点
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方型区画の北辺
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全景はこんな感じなんですね~。
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出土した遺物には銅鏃や
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何故か、馬の歯
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勾玉、管玉など
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鉄碎
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 など珍しいものがたくさん出土して、周辺地域が5世紀ごろから活躍した古代の大豪族、葛城氏の本拠地だったことを思い出させてくれます!

だって、遺跡に立つと、葛城山と金剛山が目の前に迫ってて、いやでも葛城氏を思い出すんですよね。
その葛城氏って言ったら、仁徳天皇の皇后だった磐媛の出身氏族なんだし~。
近くには、その葛城襲津彦(磐媛のお父さん?)の墓と言われてる、宮山古墳があるし~。
これは行かねば!と歩きだしたら、15分ほどで宮山古墳着。
道路の反対側には陪塚と思われる小山(ねこ塚)がありました。
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全長230メートル余りの大きな前方後円墳の周りを辿って行くと、ちゃんと登り道があって。
急な階段を登り終えると、そこには先客が数人おられて、石室の中を覗き込んでおられました。
ここは、竪穴式石室の中に長持型石棺が入ったままの状態で見られるんだそうです!
勿論、石室に降りて中を見たんですが、降りてほんとにびっくり!
思いのほか、石室が浅くて、石棺と石室の天井の間にほとんど空間がない…・
そして、目の前に石棺の縄掛け突起がにょっきり!!
石室内を地上から見たところですが、突き出てるのが縄掛け突起、丸い穴は盗掘坑だそうです。
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その盗掘坑から石棺内部を撮ってみました。
石棺の天井石のカーブがはっきりわかりますね~。
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石棺の右肩から奥を見たところ。天井が低いのと、縄掛け突起とがはっきりわかりますね。
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石室はこの北側にもう一つあったそうで、これはその天井石でしょうか…いや~、ここは凄いね~と皆さん大満足で、三々五々、次の目的地へと散って行かれました。
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私も近くにある條ウル古墳に行きたかったんですが、実はこの日、夫は親戚の法事に出かけており、
致命的なことに、鍵を持っていない…おそらく、5時には帰宅するはず…
で、時間を見たら、三時前…
ここから御所までは一時間ぐらい歩くかなあ。
バスは無いし、タクシーの影も見えない(汗)
やむを得ず、宮山古墳の全景を眺めながら御所駅を目指して歩き始めました。
しかし、前方後円墳って、いい格好ね~。
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歩くにはちょうどいいお天気と気温。
途中には「蛇穴(さらぎ)」が。
この「さらぎ」というのは葛城の和名だそうで、倉を意味するらしい…・
それと、役の行者に恋した村娘が失恋して蛇になったという伝説が合体して、
ここの野口神社では「蛇穴の汁かけ祭り」と言うお祭りがあるとか。
ふむ~。

御所駅の南には、鴨都波神社があります。
この神社は、、「鴨の水際(みづは)の神」で、元々は水の神を祀っていたという説があります。
このあたりは葛城川と柳田川の合流地点なんですね~。
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道路際ですが、しんとした雰囲気・・・・・

近くには鴨都波遺跡もあって、すぐそこだったんですが
あいにく、電車の時間が迫っていて。
何しろ一時間に一本なんですよね~(汗)

とっとこ帰ったら、夫はまだ帰宅してませんでした。
夫を閉め出さずに済んで、よかったわ。



 
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by nagiwi | 2010-01-24 23:27 | 現地説明会 | Comments(12)
奈良教育大学の構内で今年8月から行われた埋蔵文化財の調査で、
新薬師寺のものと思われる大型建物の基壇が発掘され、公開されたので行ってきました。
新薬師寺旧境内大型基壇建物遺構
先日の寒さが嘘のように、今日は暖かでいいお天気。
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奈良教育大学は、創立120年。
校内はゆったりとして、紅葉が青空に映えて綺麗です。
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今日は創立120周年の記念式典があったそうで、のぼりがいっぱい立ってました・・・せんとくんでもまんとくんでもない・・・あなたは誰?
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見事に真っ赤な古木
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式典会場の横をずっと歩いていくと発掘現場があります
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今回の調査であらわれたのは、幅約68メートル、高さ2メートル前後と推定される基壇・・・東大寺より大きいことになるそうです・・・・
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基壇化粧石組み(凝灰岩)
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内陣への階段?
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柱石列
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版築壷堀地業
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説明会がないのがやや不満ですが、この発掘で、新薬師寺に関する東大寺要録の記述の正しさが裏付けられたことになります。ここと現在の新薬師寺は写真美術館をはさんでほぼ並行らしいですよ~。
この教育大学は、戦前戦中を通して旧陸軍聯隊があったそうで、新薬師寺の遺構の上には聯隊の跡が乗っかってたと言うことらしい。
で、その聯隊の倉庫が資料館になっていて、出土品が展示されていました。
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8世紀の瓦。
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奈良三彩のかけら。ほかにも木そ漆の破片なども出土したそうです。
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現在の新薬師寺は、いかにもひなびた古寺で、仏と人との距離も近く、
そういうところが私は大好きなんですが、
創建当事は、それは見事なものだったんでしょうね・・・・などと考えながら、秋の日差しの中をぶらぶら歩き、久しぶりに元興寺に入ってみました。
そばはしょっちゅう通るんですが、お金を払ってはいるのは久しぶり。
元興寺は奈良に都が移ったとき、一緒に飛鳥から移ってきて、威容を誇ったけれど
やがて衰え、庶民の浄土信仰を集めたこの極楽坊だけが残った。
そういうところ、ちょっと新薬師寺とも共通するかな・・・
この行基葺の屋根の形、好きです!
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禅堂と本堂、そして境内には庶民の信仰を集めたたくさんの石仏が・・・
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実家へ顔を出そうと、ぶらぶらと奈良町を歩いていると、心樹庵という新しいお店を発見。
いい感じなのでちょっと入ってご主人といろいろお話をしてみたら・・・以前にお友達のsmashさんから、「奈良に中国茶の美味しいお店ができたよ!」と紹介されたお店でした~♪
中国茶だけではなく、日本茶も色々あって、お茶請けも美味しく、実家へ行くのを忘れそうなほど(笑)
奈良町散策に疲れたとき、のんびりするのちょうどいいですね。
皆さんどうぞごひいきに(笑)
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この春、卒業パーティをした由庵の近くでしたよ。

実家に着くのはすっかり遅くなってしまいました(汗)が、ゆったりのんびり歩いた一日でした。
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by nagiwi | 2008-11-23 00:54 | 現地説明会 | Comments(4)

明日香村・2つの現説☆

今日は明日香村で現地説明会が二つありました。
飛鳥京跡と、甘樫丘の蘇我氏関連(?)の遺跡。
久しぶりの現説掛け持ちです(笑)。

どちらも12時から4時までだったのですが、ちょっと出遅れたのと
橿原神宮前で電車を降りたら、なんだか空模様が怪しかったのとで、
バスで行きました。
現説二本立てのせいか、シャトルバスが出ておりまして

このバスで甘樫丘のそばを通ったら、
丘を取り巻くようにずらりと並んだ人の列!
飛鳥京のほうを見たら、こちらも行列があったのですが、
とりあえず、バス停から近い飛鳥京のほうへと向かうと・・・・

あら、まあ、朱雀さんが向こうから!
いや~、学校以外のところでお目にかかるのは何度目でしょう?
朱雀さん、今日は奥様とご一緒。
偶然にビックリしつつご挨拶して、行き交いました。
・・・多分、大学でお知り合いになるまでも、どこかの現説でお目にかかってたんでしょうね・・・・

で、飛鳥京跡ですが、
飛鳥時代後半の東西石組み溝が出土して、
これが飛鳥京の北限の溝ではないのか、と話題になってるもの。
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これは、南東から北西方向の素掘りの斜行溝で、
7世紀後半には埋められていたものと思われます。
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で、この石組溝は、飛鳥時代後半のもの。
東西石組溝は幅1.5m程度、そこに南北の幅0.4mあまりの溝が取り付けられていて、
こういうものとしては最大級。
この溝の南側には、飛鳥時代の遺構が確認されてるのに、
北側からは明確な遺構が確認できないことから、北限ではないか、といわれてるそうです。

飛鳥京跡から甘樫丘は歩いて10分ほど?
甘樫丘の人だかりは少し沈静化してましたが、それでも、ずらっと並んでます。
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調査地域の遺構平面図
遺構は3つの時期に分けられるんですが、平面図の中央のグレーの部分が第一期。
黄色い線の中が第二期で、右側が第三期。
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蘇我氏に関係がありそうなのは、1期と2期の前半でしょうか。
調査区の北側から撮ってあります。
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第一期の遺構の中央からは立派な石垣が!
石垣には、屋敷を立派に見せる狙いがあったのかな。
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第3期の遺構からは色々な遺物も出土してます。
これは、炉の羽口。
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7世紀後半、藤原京に都が移ったあとも、こういうふうに屋根のある炉の後が見つかるなど、
この辺りが継続的に使用されていたことが判りますね。
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時折小雨がぱらついてたんですが、それも行き過ぎて。
丘を下って飛鳥京のほうを眺めると、もう4時前と言うのに、
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まだまだ人の列。
ありさんの行列みたいに小さく写る人の列が分かるでしょうか。

丁度帰りのバスが来たので乗って帰りました。
今日一日で9000人程度の見学者があったとか。
久しぶりに大人数の現地説明会でしたね~。

今日のオマケ
橿原神宮前には、なんだかよくわからないオブジェが。
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説明を読んだら、「へき邪」(魔除みたいなもの)ですって・・・・
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by nagiwi | 2007-02-12 01:16 | 現地説明会 | Comments(8)

「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作高橋睦郎・・・多分)私なぎの物思いの幾つかを・・・


by nagiwi