2010年 02月 15日
飛鳥京跡外郭北部調査の現地説明会に行ってきました。
飛鳥寺の南側で、飛鳥京跡の外郭北部が調査され、
飛鳥時代後半の石組溝や、石敷広場とその付属施設、掘立柱列が検出されました。
この辺りはしょっちゅう発掘調査をしてて、橿原考古学研究所がやってる分だけで、今回が164次。
他に、奈文研もやってますし、明日香村の教育委員会でもやってるし…
全部を足したら一体どのぐらいになるのか?
それでも、明日香を全部調査って無理よね・・・
明日香はどこを掘ってもなんかね~。
調査報告書
今回は、飛鳥京の北部の様相と北限を調べるためのもので、
二つの区画が発掘されています。
一区は飛鳥寺の南東で、ここからは掘立柱塀と
東西方向の石組溝、飛鳥寺南の石敷き広場(昭和31年に奈文研によって発掘調査された)を南北に走る石組溝の延長が見つかりました
溝の中からは大量の土師器や須恵器が出土したんですが、これは、はそう(瓦偏に泉)
胴の丸い穴に竹か何かを差しこんで注ぎ口にしたんでしょうね。
お酒でも入れたのかな?
二区からは、飛鳥寺南の石敷き広場の一部と、東西方向の石組溝、
南北のU字状の石組溝が出土し 東西の溝は飛鳥川に向かっています。向こうに見えるのは甘樫丘。
飛鳥に都があったとき、この飛鳥寺の南辺りにも、石敷きの広場が広がってたんでしょうね~。
これらの遺構には、正方位のものと東西に振れたものが混在していろそうで、
それが今回の発掘の特筆すべき点だそうです。
実はこの日は、かるほさんの弾丸ツアほどではないにしても、あちこち見て歩こう!
との意欲に満ちていたんですが、
朝寝坊してでるのが遅くなったせいで、来客や電話につかまり、
出発がお昼前になってしまいました。
で、この現地説明会の説明を聞き終わったときには2時。
この後どうしようかな~と考えて、ふと、岡寺に行ってみようかな、と。
岡寺はものすごく急な坂の上にあるので、ん十年前に一度行ったきりだったんですよね。
飛鳥寺から岡寺の鳥居下までぶらぶら歩き、さあ、坂を上ります…
この坂は、もう、ほんとにすごくて、もうおしまいかと思うと、もっと急になる(汗)
この日は晴れてましたが、雨でも降ったら滑り落ちそう。
岡寺は草壁皇子の岡宮跡に義淵僧正によって建立されました。
厄除と西国観音めぐりで有名で、本堂には日本最大の塑像の如意輪観音が。
岡寺はまた、龍蓋寺ともいわれるんですが、この名前は人々を苦しめた龍を、義淵僧正が封じ込め龍に蓋をしたことから付いたといわれていて、境内には龍蓋池と言う池があります。
この下に龍がいるらしい。
境内を登っていくと、瑠璃井という井戸が。 これは石窟の中。
石楠花の間を登っていくと、義淵僧正のお墓もあります。
ここまで登ると、相当高いんですよ~。
上から望む本堂。
明日香はずっと下の方・・・・ここを登ってきたんですから、しんどいはずやわ…
仁王門を出たところに、治田神社があります。
創建当時の岡寺はこの治田神社の境内にあったらしく、
この辺りから発掘調査で礎石や瓦が出土しているそうです。
久しぶりに行った岡寺ですが、沢山の参拝客でにぎわってました。
治田神社のそばに駐車場があって、皆さんそこまで車で来られるらしい。
次回は私もそうしたいものです・・・・坂なんて、大っきらいだ!
下りも坂をよろよろ下ってバス停まで来たら、なんとまあ、バスが来た!
川原寺を通って岡寺駅まで行こうと思ってたんですが、急遽中止し、バスに乗車。
で、飛鳥寺のバス停で、現説を終えて乗ってきた人になんだか見覚えがあると思ったら…・
朱雀さんでした☆
明日香村の現説に来て朱雀さんにお目にかかるのは、これで三度目ですね~。
他ではお会いしないのに、なんでかなあ?
お目にかかるのはほぼ一年ぶりですね、とか、無事合格された卒論のお話などをうかがって
旧交を温めました♪
朱雀さんとは橿原神宮前駅でお別れ。
バスに乗ったせいで時間があったので、橿考研博物館に行きました。
平城京発掘展をやってたのと、
先日秋津遺跡の現説の帰りに行った宮山古墳の出土品が、確か博物館にあったと思ったので。
やっぱりありました!古墳のまつりの角っこに、宮山古墳で見た石棺や靫形埴輪~!
それに、小さい勾玉をたくさん連ねた頸飾りもあって。
何度も見たはずなのに、現地に行ってもう一度見直すと、思いは深まりますね。
ん~~、満足だわ~。
ふと気づけば、もう閉館の時間で・・・・
御機嫌で帰宅したら、ゴルフに行った夫がとっくに帰宅し、
昨日のうどんすきの残りをぱくついておりました(笑)。
飛鳥時代後半の石組溝や、石敷広場とその付属施設、掘立柱列が検出されました。
この辺りはしょっちゅう発掘調査をしてて、橿原考古学研究所がやってる分だけで、今回が164次。
他に、奈文研もやってますし、明日香村の教育委員会でもやってるし…
全部を足したら一体どのぐらいになるのか?
それでも、明日香を全部調査って無理よね・・・
明日香はどこを掘ってもなんかね~。
調査報告書
今回は、飛鳥京の北部の様相と北限を調べるためのもので、
二つの区画が発掘されています。
一区は飛鳥寺の南東で、ここからは掘立柱塀と
溝の中からは大量の土師器や須恵器が出土したんですが、これは、はそう(瓦偏に泉)
胴の丸い穴に竹か何かを差しこんで注ぎ口にしたんでしょうね。
お酒でも入れたのかな?
二区からは、飛鳥寺南の石敷き広場の一部と、東西方向の石組溝、
飛鳥に都があったとき、この飛鳥寺の南辺りにも、石敷きの広場が広がってたんでしょうね~。
これらの遺構には、正方位のものと東西に振れたものが混在していろそうで、
それが今回の発掘の特筆すべき点だそうです。
実はこの日は、かるほさんの弾丸ツアほどではないにしても、あちこち見て歩こう!
との意欲に満ちていたんですが、
朝寝坊してでるのが遅くなったせいで、来客や電話につかまり、
出発がお昼前になってしまいました。
で、この現地説明会の説明を聞き終わったときには2時。
この後どうしようかな~と考えて、ふと、岡寺に行ってみようかな、と。
岡寺はものすごく急な坂の上にあるので、ん十年前に一度行ったきりだったんですよね。
飛鳥寺から岡寺の鳥居下までぶらぶら歩き、さあ、坂を上ります…
この坂は、もう、ほんとにすごくて、もうおしまいかと思うと、もっと急になる(汗)
この日は晴れてましたが、雨でも降ったら滑り落ちそう。
岡寺は草壁皇子の岡宮跡に義淵僧正によって建立されました。
厄除と西国観音めぐりで有名で、本堂には日本最大の塑像の如意輪観音が。
岡寺はまた、龍蓋寺ともいわれるんですが、この名前は人々を苦しめた龍を、義淵僧正が封じ込め龍に蓋をしたことから付いたといわれていて、境内には龍蓋池と言う池があります。
この下に龍がいるらしい。
境内を登っていくと、瑠璃井という井戸が。
石楠花の間を登っていくと、義淵僧正のお墓もあります。
ここまで登ると、相当高いんですよ~。
上から望む本堂。
明日香はずっと下の方・・・・ここを登ってきたんですから、しんどいはずやわ…
仁王門を出たところに、治田神社があります。
創建当時の岡寺はこの治田神社の境内にあったらしく、
久しぶりに行った岡寺ですが、沢山の参拝客でにぎわってました。
治田神社のそばに駐車場があって、皆さんそこまで車で来られるらしい。
次回は私もそうしたいものです・・・・坂なんて、大っきらいだ!
下りも坂をよろよろ下ってバス停まで来たら、なんとまあ、バスが来た!
川原寺を通って岡寺駅まで行こうと思ってたんですが、急遽中止し、バスに乗車。
で、飛鳥寺のバス停で、現説を終えて乗ってきた人になんだか見覚えがあると思ったら…・
朱雀さんでした☆
明日香村の現説に来て朱雀さんにお目にかかるのは、これで三度目ですね~。
他ではお会いしないのに、なんでかなあ?
お目にかかるのはほぼ一年ぶりですね、とか、無事合格された卒論のお話などをうかがって
旧交を温めました♪
朱雀さんとは橿原神宮前駅でお別れ。
バスに乗ったせいで時間があったので、橿考研博物館に行きました。
平城京発掘展をやってたのと、
先日秋津遺跡の現説の帰りに行った宮山古墳の出土品が、確か博物館にあったと思ったので。
やっぱりありました!古墳のまつりの角っこに、宮山古墳で見た石棺や靫形埴輪~!
それに、小さい勾玉をたくさん連ねた頸飾りもあって。
何度も見たはずなのに、現地に行ってもう一度見直すと、思いは深まりますね。
ん~~、満足だわ~。
ふと気づけば、もう閉館の時間で・・・・
御機嫌で帰宅したら、ゴルフに行った夫がとっくに帰宅し、
昨日のうどんすきの残りをぱくついておりました(笑)。
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by nagiwi
| 2010-02-15 19:26
| 現地説明会
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