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風の中の小鳥

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「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作大手拓次)私なぎの物思いの幾つかを・・・

飛鳥寺の南側で、飛鳥京跡の外郭北部が調査され、
飛鳥時代後半の石組溝や、石敷広場とその付属施設、掘立柱列が検出されました。
この辺りはしょっちゅう発掘調査をしてて、橿原考古学研究所がやってる分だけで、今回が164次。
他に、奈文研もやってますし、明日香村の教育委員会でもやってるし…
全部を足したら一体どのぐらいになるのか?
それでも、明日香を全部調査って無理よね・・・
明日香はどこを掘ってもなんかね~。
調査報告書

今回は、飛鳥京の北部の様相と北限を調べるためのもので、
二つの区画が発掘されています。
一区は飛鳥寺の南東で、ここからは掘立柱塀と
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東西方向の石組溝、飛鳥寺南の石敷き広場(昭和31年に奈文研によって発掘調査された)を南北に走る石組溝の延長が見つかりました
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溝の中からは大量の土師器や須恵器が出土したんですが、これは、はそう(瓦偏に泉)
胴の丸い穴に竹か何かを差しこんで注ぎ口にしたんでしょうね。
お酒でも入れたのかな?
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二区からは、飛鳥寺南の石敷き広場の一部と、東西方向の石組溝、
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南北のU字状の石組溝が出土し
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東西の溝は飛鳥川に向かっています。向こうに見えるのは甘樫丘。
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飛鳥に都があったとき、この飛鳥寺の南辺りにも、石敷きの広場が広がってたんでしょうね~。

これらの遺構には、正方位のものと東西に振れたものが混在していろそうで、
それが今回の発掘の特筆すべき点だそうです。

実はこの日は、かるほさんの弾丸ツアほどではないにしても、あちこち見て歩こう!
との意欲に満ちていたんですが、
朝寝坊してでるのが遅くなったせいで、来客や電話につかまり、
出発がお昼前になってしまいました。
で、この現地説明会の説明を聞き終わったときには2時。
この後どうしようかな~と考えて、ふと、岡寺に行ってみようかな、と。
岡寺はものすごく急な坂の上にあるので、ん十年前に一度行ったきりだったんですよね。

飛鳥寺から岡寺の鳥居下までぶらぶら歩き、さあ、坂を上ります…
この坂は、もう、ほんとにすごくて、もうおしまいかと思うと、もっと急になる(汗)
この日は晴れてましたが、雨でも降ったら滑り落ちそう。
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岡寺は草壁皇子の岡宮跡に義淵僧正によって建立されました。
厄除と西国観音めぐりで有名で、本堂には日本最大の塑像の如意輪観音が。
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岡寺はまた、龍蓋寺ともいわれるんですが、この名前は人々を苦しめた龍を、義淵僧正が封じ込め龍に蓋をしたことから付いたといわれていて、境内には龍蓋池と言う池があります。
この下に龍がいるらしい。
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境内を登っていくと、瑠璃井という井戸が。
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これは石窟の中。
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石楠花の間を登っていくと、義淵僧正のお墓もあります。
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ここまで登ると、相当高いんですよ~。
上から望む本堂。
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明日香はずっと下の方・・・・ここを登ってきたんですから、しんどいはずやわ…
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仁王門を出たところに、治田神社があります。
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創建当時の岡寺はこの治田神社の境内にあったらしく、
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この辺りから発掘調査で礎石や瓦が出土しているそうです。

久しぶりに行った岡寺ですが、沢山の参拝客でにぎわってました。
治田神社のそばに駐車場があって、皆さんそこまで車で来られるらしい。
次回は私もそうしたいものです・・・・坂なんて、大っきらいだ!

下りも坂をよろよろ下ってバス停まで来たら、なんとまあ、バスが来た!
川原寺を通って岡寺駅まで行こうと思ってたんですが、急遽中止し、バスに乗車。
で、飛鳥寺のバス停で、現説を終えて乗ってきた人になんだか見覚えがあると思ったら…・
朱雀さんでした☆
明日香村の現説に来て朱雀さんにお目にかかるのは、これで三度目ですね~。
他ではお会いしないのに、なんでかなあ?
お目にかかるのはほぼ一年ぶりですね、とか、無事合格された卒論のお話などをうかがって
旧交を温めました♪
朱雀さんとは橿原神宮前駅でお別れ。

バスに乗ったせいで時間があったので、橿考研博物館に行きました。
平城京発掘展をやってたのと、
先日秋津遺跡の現説の帰りに行った宮山古墳の出土品が、確か博物館にあったと思ったので。

やっぱりありました!古墳のまつりの角っこに、宮山古墳で見た石棺や靫形埴輪~!
それに、小さい勾玉をたくさん連ねた頸飾りもあって。
何度も見たはずなのに、現地に行ってもう一度見直すと、思いは深まりますね。
ん~~、満足だわ~。

ふと気づけば、もう閉館の時間で・・・・

御機嫌で帰宅したら、ゴルフに行った夫がとっくに帰宅し、
昨日のうどんすきの残りをぱくついておりました(笑)。
# by nagiwi | 2010-02-15 19:26 | 現地説明会 | Comments(6)

節分の懸想文

毎日とっても寒い日が続いてますが、暦の上ではもう春。
昨日は節分でしたね~。

毎年、節分だからと言って特に何もしないんですが、
今年は友人に誘われて、京都の須賀神社に懸想文を貰いに行ってきました。
ん?懸想文って何?と思われた方が多いんじゃないでしょうか。
私も、友人に教えてもらうまで、何にも知らなかったんです・・・・・・

懸想文、って言うのは、恋文ってことですが・・・・。

この須賀神社っていうのは、聖護院の前にあるほんとに小さな神社なんですが、
節分の2月2日と3日には、境内に、こんな恰好をした懸想文売りが出るんです。
覆面をして、肩に担いだ梅の枝に懸想文を通しています。
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江戸時代、京の風俗行事の一つとして懸想文売りが街を賑わしたそうで、
この懸想文というのは、恋文ではなく、縁談や商売繁盛などの欲望を叶えてくれるものらしい。
これを鏡台に入れておくと美人になったり恋人ができるし、
箪笥に入れておくと着物が増えると言われたそうです…
ここまでくると、なぜ私が須賀神社に行ったか、お分かりですね~(笑)
そう、着物が増える、って聞いては行かずにいられません!

これが懸想文。
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江戸時代に懸想文売りになったのは貧乏な貴族の若さまで、
顔が見えないように覆面してたんだそうです。
売り手の恰好は江戸時代からちっとも変ってないんですね~。
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これが中身です。
この懸想文売りと言う風俗が残ってるのは、京都でもこの須賀神社だけらしいですよ。
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勿論、私は着物の箪笥にこっそりとしまっておきました☆
着物が増えるとうれしいなあ(笑)
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この日の私の着物姿ですが・・・ぼけぼけですね(汗)。

いかにも京都らしい行事でした!
# by nagiwi | 2010-02-04 19:33 | 着物 | Comments(6)

真冬の京都へ

いつもの友人から、京都へ行こう!とのお誘いがあって。
私が選んだのは、東福寺と泉涌寺。
彼女の友人の建築家さんがご一緒でした。

東福寺は紅葉の名所としてとっても有名で、その時期には京阪の駅からお寺まで、
それはもう、ものすごい混雑なんですよね~。
でも、今は京都も奈良もシーズンオフで、あたりは閑散としてます。

塔頭の白壁越しに、ピラカンサスの実が真っ赤。
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東福寺の境内にあるたくさんの楓の木々は、この時期にはすっかり葉を落としていますが、
その楓の木々の向こうには、通天橋がこの世とあの世をつなぐ幻の橋のように浮かんで。
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人影のない通天橋
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屋上に閣を持つ、他に類例を見ない開山堂。
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この日の朝は冷え込んでたようで、手水鉢には薄氷が張ってました。
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この日の写真の殆どは、ご一緒した方が撮ってくださったもの。
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三門。
カメラも腕も違うんでしょね~。すごく綺麗に撮れてます☆

東福寺から泉涌寺へと向かいます。
長く皇室の菩提寺であったため「御寺」とよばれるこのお寺に行くのは何十年ぶりかなあ。
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これは重要文化財の仏殿。
「一重もこし付入母屋造り本瓦葺き、唐様建築」で、
運慶作と伝える阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏が御本尊と言うことなんですが、
なんというか、アンバランスなんです~。
二層になってる屋根の二層目は一層目に比べてうんと高いし、
内部の天井には、天井板は無くて、何故か裳腰で飾られてる!
建物の内部に裳腰が付いてるのって、初めて見た気がします…
しかも、一階部分は、なんの飾りもなくがらんとしてるし、
御本尊は建物の割に小さいし…・
しかも、瓦を葺くのに土は使ってないとか???
変なの~(笑)
宋様と和洋と禅様が混じり合ってる、と建築家さんに教えて頂きました☆

有名な楊貴妃観音や、普段は公開されていない霊明殿なども拝観して、
ゆっくりまったり過ごしました。

その後、京都木屋町で熱燗におでんを食べ、バーで一杯。
ギリギリ終電に間に合って、深夜に帰宅しました~♪
ああ、面白かった☆
# by nagiwi | 2010-01-30 22:51 | お寺と仏像 | Comments(4)
御所市の古墳時代前期の集落跡から、
方形に巡らされた板塀とその中の住居跡と思われるものが見つかって、
現地説明会があったので行ってきました。

場所はJR玉手駅から歩いて半時間ぐらいの所なんですが、
この御所市と言うところは葛城氏の根拠地とされていて、そこらじゅうに古墳やら遺跡やら神社があるのに、
今回遺跡が発掘された秋津小学校近辺は、これまでは遺跡の空白地帯だったそうで。
半年ほど前、京奈和自動車道路の工事のために試し掘りをしたら、ワンサカ遺跡が出てきて、
「秋津遺跡」と名付けたそうです。

朝からいいお天気で現説日和だったんですが、この御所と言うところ、
我が家からだと、ちょっと不便・・・・
いや、JRに乗ってしまえば45分ぐらいなんですが、そのJRが一時間に一本(笑)
こ~ゆ~場合、問題は帰りよね~、と思いながら、出かけました。
JR玉手駅では例によって沢山の同行の士が下車。
ちゃんと「現地説明会はこちら」の張り紙と、案内の方がいて下さり、その案内通りにぶらぶら歩いて行くと
到着したころは、すっかりぽかぽか暖まりました。

これが遺跡の全景です。
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この遺構は、20センチほどの溝を挟んだ柱穴の列が二重になって、区画を囲んでいる。
そういう区画が三つ出土してて、一番大きいものは南北18メートル以上、東西40メートル以上 !

土坑の形から、溝には約15センチ厚さの板をびっしり並べ、その両側を柱と横木で挟んで塀にしたらしい。
柱を埋めた深さから、塀の高さが推測できるそうなんですが、
その方法によると塀の高さは2メートル位と推測でき、塀の内側で竪穴式の建物跡も見つかったそうです。
で、その形状から、八尾市の心合寺山古墳で出土した、祭祀場をかたどった埴輪のモデルになったとみられるそうな。
その埴輪はこれ。
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説明によりますと、この塀は、政治や祭りを行う神聖な空間を囲んでいたと推測されるそうで。
塀のイメージはこんな風だそうです…
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これがその塀の遺構
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遺構近くの流路跡では、祭祀の道具と思われる小型のつぼなどが多く捨てられていた。
流路跡。
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遺物がたくさん出土した地点
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方型区画の北辺
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全景はこんな感じなんですね~。
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出土した遺物には銅鏃や
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何故か、馬の歯
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勾玉、管玉など
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鉄碎
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 など珍しいものがたくさん出土して、周辺地域が5世紀ごろから活躍した古代の大豪族、葛城氏の本拠地だったことを思い出させてくれます!

だって、遺跡に立つと、葛城山と金剛山が目の前に迫ってて、いやでも葛城氏を思い出すんですよね。
その葛城氏って言ったら、仁徳天皇の皇后だった磐媛の出身氏族なんだし~。
近くには、その葛城襲津彦(磐媛のお父さん?)の墓と言われてる、宮山古墳があるし~。
これは行かねば!と歩きだしたら、15分ほどで宮山古墳着。
道路の反対側には陪塚と思われる小山(ねこ塚)がありました。
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全長230メートル余りの大きな前方後円墳の周りを辿って行くと、ちゃんと登り道があって。
急な階段を登り終えると、そこには先客が数人おられて、石室の中を覗き込んでおられました。
ここは、竪穴式石室の中に長持型石棺が入ったままの状態で見られるんだそうです!
勿論、石室に降りて中を見たんですが、降りてほんとにびっくり!
思いのほか、石室が浅くて、石棺と石室の天井の間にほとんど空間がない…・
そして、目の前に石棺の縄掛け突起がにょっきり!!
石室内を地上から見たところですが、突き出てるのが縄掛け突起、丸い穴は盗掘坑だそうです。
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その盗掘坑から石棺内部を撮ってみました。
石棺の天井石のカーブがはっきりわかりますね~。
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石棺の右肩から奥を見たところ。天井が低いのと、縄掛け突起とがはっきりわかりますね。
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石室はこの北側にもう一つあったそうで、これはその天井石でしょうか…いや~、ここは凄いね~と皆さん大満足で、三々五々、次の目的地へと散って行かれました。
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私も近くにある條ウル古墳に行きたかったんですが、実はこの日、夫は親戚の法事に出かけており、
致命的なことに、鍵を持っていない…おそらく、5時には帰宅するはず…
で、時間を見たら、三時前…
ここから御所までは一時間ぐらい歩くかなあ。
バスは無いし、タクシーの影も見えない(汗)
やむを得ず、宮山古墳の全景を眺めながら御所駅を目指して歩き始めました。
しかし、前方後円墳って、いい格好ね~。
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歩くにはちょうどいいお天気と気温。
途中には「蛇穴(さらぎ)」が。
この「さらぎ」というのは葛城の和名だそうで、倉を意味するらしい…・
それと、役の行者に恋した村娘が失恋して蛇になったという伝説が合体して、
ここの野口神社では「蛇穴の汁かけ祭り」と言うお祭りがあるとか。
ふむ~。

御所駅の南には、鴨都波神社があります。
この神社は、、「鴨の水際(みづは)の神」で、元々は水の神を祀っていたという説があります。
このあたりは葛城川と柳田川の合流地点なんですね~。
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道路際ですが、しんとした雰囲気・・・・・

近くには鴨都波遺跡もあって、すぐそこだったんですが
あいにく、電車の時間が迫っていて。
何しろ一時間に一本なんですよね~(汗)

とっとこ帰ったら、夫はまだ帰宅してませんでした。
夫を閉め出さずに済んで、よかったわ。



 
# by nagiwi | 2010-01-24 23:27 | 現地説明会 | Comments(12)

久しぶりに

奈良検定とはあんまり関係のない本を読みました~。
「魂の古代学…問いつづける折口信夫」
新潮選書で、著者は上野誠先生。
先生はこの本で「第7回 角川財団学芸賞」を受賞されてます☆

折口信夫って奈良との縁も深く、
小説「死者の書」は中将姫と大津の皇子が出てくるんですよね
(有名ですけど、ちゃんと読んだことがありません。
そういえば、奈良検定にも出たことがあったような・)(汗)
なんにせよ、名前は知ってて親しみは持ってるんだけど、詳しいことは知らない、と言う(劇汗)
これって、先日の試験で露呈した私の欠点の最たるものだ、ということで
丁度見つけたこの本を読もうと思ったわけです。

で、この本が面白かった♪
流石、上野先生!!
中身は濃いのにさらさら読めて、折口信夫の唱えた
「まなざしと関係性の古代学」が、なんだかよくわかった気がします。

この中で、上野先生は折口信夫が「大阪のええしのこぼんちゃん」として育ち
しかも、遊民(遊民って、言うところの「かいしょなし」ですよね)であったことが
その「まなざし」を生んだ、と言っておられます。
なるほど~。

実は「死者の書」は一度読みかけて挫折してるのですが、
是非とも再チャレンジしてみよう!という気になりました。


ここからは余談ですが、

昔、大阪の大きな商家では、甲斐性のない実子より商才のある養子をとって家を継がせるのが
一種の常識だったようで、そういう家においては折口信夫のような軟弱な息子は、まあ、言うならば「いらん子」だった・・・・との記述があるんですが

こういう話は、大阪の商家だけではなく、関西では割にあるようで。
夫婦養子、とか、養子娘に養子をとる、というのは一昔前には結構頻繁にあったようです。
実利的だとも言えるし、自分の子供より家が大事か、とも言えますね…
# by nagiwi | 2010-01-17 22:20 | 言葉 | Comments(4)

「まことにはかなきものは、ゆくえさだめぬものおもい。風の中に巣をくう小鳥」(作大手拓次)私なぎの物思いの幾つかを・・・


by nagiwi