24日、飛鳥京跡苑池の県立橿原考古学研究所第8次説明会があったので、行ってきました☆

万葉文化館でバスを降りて吉野川分水に沿って飛鳥川に向かって歩いて行くと、そこが現場
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飛鳥京跡苑池では、南池の北部分の中にある島の全体が発掘されたのですが、この日は池に水が張られていて、その中央には島があるんですが、その形が雲とも鳥ともつかない不思議な形でした。
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 苑池には南北二つの池があって、そこから北へ向かって排水用と思われる水路が伸びています。
これが水路跡。
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南北の池は渡堤で区切られていて、南池は南北55メートル、東西65メートル、面積2200平方メートルで左右対称の五角形。
五角形の池と言うのは他に類例を見ないそうで、池の底には大きさのそろった石が敷き詰められていました。
島の北側に、2本の木柱ともう2本の柱跡が確認され、せり出したテラスのような施設があったと思われます。
残った柱の下から30センチぐらいのところで色が変わっていることから、池の水深は30センチぐらいだったらしくて。
このことから、この池は船を浮かべたりしたのではなく、池の底に敷きつめた石の美しさを楽しんだのではないか、とのことでした。

南池南東部の丘からは掘っ立て柱建物跡が見つかり、このあたりから池を眺めて楽しんでいたとみられるそうです。
こんな感じ。
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その南側からは塀の柱列跡も一部みつかったことから、この池はぐるっと塀に取り囲まれていたらしい。
全体像はこうなるそうです。
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苑池は内郭と呼ばれる飛鳥京跡の北西100メートルの飛鳥川東岸にあるんですが、1999年に南池南部分が見つかりました。
その現地説明会に参加し、たいそう感動したのを今もはっきり覚えています。
苑池の底には平らな石が敷き詰められ、石積みの護岸が築かれていました。
池の中には、大きめの石が積み上げた島があって、石造りの噴水が。
説明会は、確か6月の暑い日だったんですが、説明の中で、池に水が注がれると、それまで泥にまみれていた池の底石が洗われて白く輝き、す~っと涼しい風が吹いたのを覚えています。

この池は、7世紀中頃(斉明天皇の時代ごろ)に整備せれ、天武天皇の時代に改修されたと思われ、日本書紀に天武天皇が外国からに賓客を迎えて「白錦後苑(しらにしきのみその)」に行幸した、と言う記述に一致するのでは、と言われています。

この池の周りを天武天皇と額田王が歩いたこともあるかも・・・・・
その同じ池を私も見ているのだ、と思うと、心震える思いでした。

これは、橿考研のマスコットの「いわみん」
石見遺跡から出土した埴輪の男の子だそうです・・・・・・う~~~ん・・・・
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飛鳥の秋の風情
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橘寺の添柱孔
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by nagiwi | 2013-12-01 01:59 | 現地説明会 | Comments(0)

9月に入ってからも真夏のような日が続いていましたが、ここ数日漸く秋めいてきました。
それに、大きな台風がやってきてるとかで、今日は朝から曇り空。

久しぶりに少し歩きたい気分にもなったので、桜井市の脇本遺跡で行われた「5世紀代と考えられる池状遺構とそれにともなう石積み遺構」の現地説明会に行ってきました☆

脇本遺跡には近鉄大阪線の大和朝倉駅から徒歩10分ほど。
秋風がふ~っと吹いて、サクサク歩いてると気持ち良かったです。

今回この地域で行われたのは18次調査で、道路拡幅に伴って行われました。

脇本遺跡は、外鎌山と三輪山に挟まれた初瀬谷にあって、初瀬川の河岸段丘上にあります。
この辺りは古くから伊勢への街道だったんですね。
そして、日本書紀に記載された5世紀後半の雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」の推定地で、6世紀後半の欽明天皇の「磯城島金刺宮」と、「泊瀬柴籬宮」があったと考えられている地域でもあります。

今回発掘されたのは、5世紀後半(古墳時代中期)に築かれた南北60m以上東西30m以上深さ1.2mの池状遺構と、その南岸の石積みを伴う護岸ですが、この池状の遺構は水が溜まっていた形跡はないため、古墳時代に豪族の居館を取り巻いていた濠の可能性も考えられています。
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同じような遺構は御所の極楽寺ヒビキ遺跡などでも見つかっています。
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石積み遺構は東西約30m高さ1.1m分が検出され、傾斜した護岸に20㎝~30㎝位の石がずらっと葺かれていました。
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石積みの一番下には大きめの石が横方向に並べられ、その上に小ぶりの石を下から上へ葺いて行ったようです。
また、縦方向にも石の列があって(目地)縦横の区画になっていました。

この濠の中から出土した土器から、五世紀後半に築造され6世紀後半には廃絶したと考えられるそうです。

以前の調査で、5世紀後半と6世紀後半の大型掘立柱建物が今回の調査地の北東で見つかって、「泊瀬朝倉宮」の可能性が言われています。
その点からいっても、今回の遺構は、5世紀後半に造営された雄略天皇の「泊瀬朝倉宮」に関連する施設の可能性があるそうです。

この辺りに来たのは初めてだったんですが(茶臼山古墳はひと山越えた向こうでした)しかし・・・・この辺りって、後ろが山で前が初瀬川でその向こうは三輪山で、そこに街道がとおっていて、結構狭い感じなんですよね。
ま、後ろは山で前が川っていうのは防衛しやすいのは確かだけど…宮って云うより砦みたいな気がしたのは私だけ???
広いところに王宮を・・・って云うのは飛鳥時代に始まったことでしたっけ?
それ以前、雄略天皇の頃ってこういうところに造営されたのかな~、などと思いをめぐらしましたわ。

ところで、今回もまた、朱雀さんにお目にかかりました!
石積み護岸を見ようと歩いていたら、目の前に朱雀さんがおられて。
いや~、びっくりしましたわ~☆
私が現説に行くと、ほぼ90パーセント以上の確率で朱雀さんにお目にかかってる気がします!

桜井市は、昔は木材の集積地として栄えたんですが、昨今は・・・・
それでも、こういう製材所があちこちにあります。
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by nagiwi | 2012-09-29 21:35 | 現地説明会 | Comments(5)

2月6日、飛鳥板葺の宮跡近くの飛鳥京跡苑池で、現地説明会がありました。
これは、復元整備にともなう調査によって、北池の北東コーナーが検出され、その東側では砂利敷きや石組溝などが出土したものです。

この日はいろんな用事が重なって、行けるかどうかわからなかったんですが、是非とも見たかったのでお昼御飯をカットしてなんとか行ってきました。
で、、現地に着いたら、前から来る人に見覚えが!
飛鳥の現説で出会う人、と言ったら、朱雀さんに決まってます~(笑)
朱雀さんはもう見学を終えられたようで、御挨拶だけして行きかいました。
しかし・・・現説でお目にかかるのは、何回目だ???(笑)

この飛鳥苑池は、1999年に、南北約55メートル、東西約60メートルの大きな南池が出土し、考古学ファンを驚かせたのが始まりでした。
このときの現地説明会には私も行きましたが、それはもう、ものすご~~い人出で。

池の底には丸い石が敷き詰められ、真中には噴水が立てられ、その口から流れ出した水が池にたまると、それまで底石に付いていた泥が洗い流されて、光が白い石にきらきらと反射して、さわやかな風がさ~っと吹きわたりました。
・・・・・その一瞬、そこに袖を風になびかせる都人の姿が見えたような気が・・・・・

その後も継続して調査が行われ、今度が第五次調査。
そして池の範囲は、どんどん北に広がって、北池と南池の二つの池と水路の遺構が発見されたんですが、今回の調査で、その北池の北の端が見つかって、池の範囲が確定しました。
北池の規模は南北54メートル、東西36メートル・・・・大きいですね~~!!

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北側から池跡と板葺宮跡を見た航空写真。
こうしてみると池の遺構がとっても大きいのが良くわかりますね。
実際、板葺の宮跡の内郭より池の遺構の方が大きいそうです…
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これまでの調査をつなぎ合わせた合成写真。
北池と南池は渡堤で区切られ、北池の深さは3メートル、南池の深さは1メートル。
南池には石造物があったんですよね。
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これが池の北東角を確定する石積み。
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池の底石がわかるでしょうか。
南池より大きな平たい石が引いてある感じです。

池の水は、池の底からコンコンと湧きでてくるそうで、余った水は水路で飛鳥川に流してた、と言うことになるんでしょうか。

池の東側の周りには石敷きの広場と、溝跡もありました。
広くて平坦なこの辺りは、宮にも近いうえ、川を隔てて甘樫の丘が望めるという景観の良さ。
そこはまた、充分な水がわき出して、王宮の庭園にふさわしい場所だったんでしょうね☆
・・・・この池のほとりで、額田王が歌を詠んだこともあったのかしら…・・・と、ロマンティックな物思いにふけりながら、帰途に就きました。

ほんとは、飛鳥坐神社のおんだ祭りを見たかったんですが、時間がなくて。
ちょっぴり残念でしたが、あれを見ると折角のロマンティックな気分が壊れたかも???(笑)
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by nagiwi | 2011-02-07 23:56 | 現地説明会 | Comments(2)

12月11日12日と明日香村であった、越塚御門古墳の現地説明会に行ってきました。

ここはそもそもは、牽牛子塚古墳の範囲を確定するための調査で、日本書紀の内容と一致する石槨が発見されて、大ニュースになったんですよね(9月ごろ)。
この調査で牽牛子塚古は八角墳であることがわかって天皇のものである可能性が高まったのと、斉明天皇と間人皇女が一緒に埋葬されてるという日本書紀の内容から、斉明天皇陵説が、がぜん有力になりました。

で、今回の調査では、発掘で現れた新しい古墳の状況が、同じく日本書紀の大田皇女の埋葬に関する記述とほぼ同じなため、テレビでも大々的に取り上げられました。

大田皇女は、天智天皇の皇女で鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)の姉、妹ともに天武天皇の妃となり、大津皇子と大伯皇女を生んだんですが、若くして亡くなったんですね~。
この人が元気で長生きしたら、大津皇子が皇太子になったかもしれないし。
なんだか、幸うすいかわいそうな皇女です。

で、私が行ったのは12日の日曜日。
11日のニュースですごい混雑ぶりが伝えられてたのである程度覚悟はしてたんですが、やっぱり凄かった~。
1時頃に現地に着いたらずら~~っと人の列。
最後尾に並んで案内の方と喋ってたら、昨日はここから二時間待ちだったと・・・
お天気が良くて日中は暖かだったんでよかったので、最初の内は良かったんですが、日陰に入ると風が冷たいよ~。
これで半分ぐらいまで進んだところ(汗)
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幸い、一時間ほど並んだだけで見学することができました。
これは、牽牛子塚古墳の石郭入口
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これが本日のメイン、越塚御門古墳の刳貫式横口式石槨の上部
貝吹山(明日香村にあるらしい)で採れた石英閃緑岩でできてるそうです。
天井部はドーム状。
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石郭と墓道は南北に通っていて、これは牽牛子塚古墳の石郭と並行だそうです。
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墳丘は版築で、石郭内には漆塗り木棺が入ってたらしい。

初冬の明日香村…
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斉明天皇も間人皇女も大田皇女も、ここに眠ってるんでしょうか…

明日香村のこの辺りは、終末期古墳が沢山あります。
時計を見たらもう3時半ごろでしたが、日が陰ってきてて少し冷えてきたので
近くの岩屋古墳にだけ寄って帰りました。
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by nagiwi | 2010-12-14 00:11 | 現地説明会 | Comments(6)

飛鳥寺の南側で、飛鳥京跡の外郭北部が調査され、
飛鳥時代後半の石組溝や、石敷広場とその付属施設、掘立柱列が検出されました。
この辺りはしょっちゅう発掘調査をしてて、橿原考古学研究所がやってる分だけで、今回が164次。
他に、奈文研もやってますし、明日香村の教育委員会でもやってるし…
全部を足したら一体どのぐらいになるのか?
それでも、明日香を全部調査って無理よね・・・
明日香はどこを掘ってもなんかね~。
調査報告書

今回は、飛鳥京の北部の様相と北限を調べるためのもので、
二つの区画が発掘されています。
一区は飛鳥寺の南東で、ここからは掘立柱塀と
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東西方向の石組溝、飛鳥寺南の石敷き広場(昭和31年に奈文研によって発掘調査された)を南北に走る石組溝の延長が見つかりました
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溝の中からは大量の土師器や須恵器が出土したんですが、これは、はそう(瓦偏に泉)
胴の丸い穴に竹か何かを差しこんで注ぎ口にしたんでしょうね。
お酒でも入れたのかな?
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二区からは、飛鳥寺南の石敷き広場の一部と、東西方向の石組溝、
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南北のU字状の石組溝が出土し
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東西の溝は飛鳥川に向かっています。向こうに見えるのは甘樫丘。
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飛鳥に都があったとき、この飛鳥寺の南辺りにも、石敷きの広場が広がってたんでしょうね~。

これらの遺構には、正方位のものと東西に振れたものが混在していろそうで、
それが今回の発掘の特筆すべき点だそうです。

実はこの日は、かるほさんの弾丸ツアほどではないにしても、あちこち見て歩こう!
との意欲に満ちていたんですが、
朝寝坊してでるのが遅くなったせいで、来客や電話につかまり、
出発がお昼前になってしまいました。
で、この現地説明会の説明を聞き終わったときには2時。
この後どうしようかな~と考えて、ふと、岡寺に行ってみようかな、と。
岡寺はものすごく急な坂の上にあるので、ん十年前に一度行ったきりだったんですよね。

飛鳥寺から岡寺の鳥居下までぶらぶら歩き、さあ、坂を上ります…
この坂は、もう、ほんとにすごくて、もうおしまいかと思うと、もっと急になる(汗)
この日は晴れてましたが、雨でも降ったら滑り落ちそう。
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岡寺は草壁皇子の岡宮跡に義淵僧正によって建立されました。
厄除と西国観音めぐりで有名で、本堂には日本最大の塑像の如意輪観音が。
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岡寺はまた、龍蓋寺ともいわれるんですが、この名前は人々を苦しめた龍を、義淵僧正が封じ込め龍に蓋をしたことから付いたといわれていて、境内には龍蓋池と言う池があります。
この下に龍がいるらしい。
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境内を登っていくと、瑠璃井という井戸が。
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これは石窟の中。
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石楠花の間を登っていくと、義淵僧正のお墓もあります。
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ここまで登ると、相当高いんですよ~。
上から望む本堂。
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明日香はずっと下の方・・・・ここを登ってきたんですから、しんどいはずやわ…
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仁王門を出たところに、治田神社があります。
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創建当時の岡寺はこの治田神社の境内にあったらしく、
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この辺りから発掘調査で礎石や瓦が出土しているそうです。

久しぶりに行った岡寺ですが、沢山の参拝客でにぎわってました。
治田神社のそばに駐車場があって、皆さんそこまで車で来られるらしい。
次回は私もそうしたいものです・・・・坂なんて、大っきらいだ!

下りも坂をよろよろ下ってバス停まで来たら、なんとまあ、バスが来た!
川原寺を通って岡寺駅まで行こうと思ってたんですが、急遽中止し、バスに乗車。
で、飛鳥寺のバス停で、現説を終えて乗ってきた人になんだか見覚えがあると思ったら…・
朱雀さんでした☆
明日香村の現説に来て朱雀さんにお目にかかるのは、これで三度目ですね~。
他ではお会いしないのに、なんでかなあ?
お目にかかるのはほぼ一年ぶりですね、とか、無事合格された卒論のお話などをうかがって
旧交を温めました♪
朱雀さんとは橿原神宮前駅でお別れ。

バスに乗ったせいで時間があったので、橿考研博物館に行きました。
平城京発掘展をやってたのと、
先日秋津遺跡の現説の帰りに行った宮山古墳の出土品が、確か博物館にあったと思ったので。

やっぱりありました!古墳のまつりの角っこに、宮山古墳で見た石棺や靫形埴輪~!
それに、小さい勾玉をたくさん連ねた頸飾りもあって。
何度も見たはずなのに、現地に行ってもう一度見直すと、思いは深まりますね。
ん~~、満足だわ~。

ふと気づけば、もう閉館の時間で・・・・

御機嫌で帰宅したら、ゴルフに行った夫がとっくに帰宅し、
昨日のうどんすきの残りをぱくついておりました(笑)。
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by nagiwi | 2010-02-15 19:26 | 現地説明会 | Comments(6)

御所市の古墳時代前期の集落跡から、
方形に巡らされた板塀とその中の住居跡と思われるものが見つかって、
現地説明会があったので行ってきました。

場所はJR玉手駅から歩いて半時間ぐらいの所なんですが、
この御所市と言うところは葛城氏の根拠地とされていて、そこらじゅうに古墳やら遺跡やら神社があるのに、
今回遺跡が発掘された秋津小学校近辺は、これまでは遺跡の空白地帯だったそうで。
半年ほど前、京奈和自動車道路の工事のために試し掘りをしたら、ワンサカ遺跡が出てきて、
「秋津遺跡」と名付けたそうです。

朝からいいお天気で現説日和だったんですが、この御所と言うところ、
我が家からだと、ちょっと不便・・・・
いや、JRに乗ってしまえば45分ぐらいなんですが、そのJRが一時間に一本(笑)
こ~ゆ~場合、問題は帰りよね~、と思いながら、出かけました。
JR玉手駅では例によって沢山の同行の士が下車。
ちゃんと「現地説明会はこちら」の張り紙と、案内の方がいて下さり、その案内通りにぶらぶら歩いて行くと
到着したころは、すっかりぽかぽか暖まりました。

これが遺跡の全景です。
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この遺構は、20センチほどの溝を挟んだ柱穴の列が二重になって、区画を囲んでいる。
そういう区画が三つ出土してて、一番大きいものは南北18メートル以上、東西40メートル以上 !

土坑の形から、溝には約15センチ厚さの板をびっしり並べ、その両側を柱と横木で挟んで塀にしたらしい。
柱を埋めた深さから、塀の高さが推測できるそうなんですが、
その方法によると塀の高さは2メートル位と推測でき、塀の内側で竪穴式の建物跡も見つかったそうです。
で、その形状から、八尾市の心合寺山古墳で出土した、祭祀場をかたどった埴輪のモデルになったとみられるそうな。
その埴輪はこれ。
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説明によりますと、この塀は、政治や祭りを行う神聖な空間を囲んでいたと推測されるそうで。
塀のイメージはこんな風だそうです…
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これがその塀の遺構
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遺構近くの流路跡では、祭祀の道具と思われる小型のつぼなどが多く捨てられていた。
流路跡。
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遺物がたくさん出土した地点
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方型区画の北辺
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全景はこんな感じなんですね~。
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出土した遺物には銅鏃や
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何故か、馬の歯
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勾玉、管玉など
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鉄碎
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 など珍しいものがたくさん出土して、周辺地域が5世紀ごろから活躍した古代の大豪族、葛城氏の本拠地だったことを思い出させてくれます!

だって、遺跡に立つと、葛城山と金剛山が目の前に迫ってて、いやでも葛城氏を思い出すんですよね。
その葛城氏って言ったら、仁徳天皇の皇后だった磐媛の出身氏族なんだし~。
近くには、その葛城襲津彦(磐媛のお父さん?)の墓と言われてる、宮山古墳があるし~。
これは行かねば!と歩きだしたら、15分ほどで宮山古墳着。
道路の反対側には陪塚と思われる小山(ねこ塚)がありました。
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全長230メートル余りの大きな前方後円墳の周りを辿って行くと、ちゃんと登り道があって。
急な階段を登り終えると、そこには先客が数人おられて、石室の中を覗き込んでおられました。
ここは、竪穴式石室の中に長持型石棺が入ったままの状態で見られるんだそうです!
勿論、石室に降りて中を見たんですが、降りてほんとにびっくり!
思いのほか、石室が浅くて、石棺と石室の天井の間にほとんど空間がない…・
そして、目の前に石棺の縄掛け突起がにょっきり!!
石室内を地上から見たところですが、突き出てるのが縄掛け突起、丸い穴は盗掘坑だそうです。
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その盗掘坑から石棺内部を撮ってみました。
石棺の天井石のカーブがはっきりわかりますね~。
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石棺の右肩から奥を見たところ。天井が低いのと、縄掛け突起とがはっきりわかりますね。
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石室はこの北側にもう一つあったそうで、これはその天井石でしょうか…いや~、ここは凄いね~と皆さん大満足で、三々五々、次の目的地へと散って行かれました。
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私も近くにある條ウル古墳に行きたかったんですが、実はこの日、夫は親戚の法事に出かけており、
致命的なことに、鍵を持っていない…おそらく、5時には帰宅するはず…
で、時間を見たら、三時前…
ここから御所までは一時間ぐらい歩くかなあ。
バスは無いし、タクシーの影も見えない(汗)
やむを得ず、宮山古墳の全景を眺めながら御所駅を目指して歩き始めました。
しかし、前方後円墳って、いい格好ね~。
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歩くにはちょうどいいお天気と気温。
途中には「蛇穴(さらぎ)」が。
この「さらぎ」というのは葛城の和名だそうで、倉を意味するらしい…・
それと、役の行者に恋した村娘が失恋して蛇になったという伝説が合体して、
ここの野口神社では「蛇穴の汁かけ祭り」と言うお祭りがあるとか。
ふむ~。

御所駅の南には、鴨都波神社があります。
この神社は、、「鴨の水際(みづは)の神」で、元々は水の神を祀っていたという説があります。
このあたりは葛城川と柳田川の合流地点なんですね~。
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道路際ですが、しんとした雰囲気・・・・・

近くには鴨都波遺跡もあって、すぐそこだったんですが
あいにく、電車の時間が迫っていて。
何しろ一時間に一本なんですよね~(汗)

とっとこ帰ったら、夫はまだ帰宅してませんでした。
夫を閉め出さずに済んで、よかったわ。



 
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by nagiwi | 2010-01-24 23:27 | 現地説明会 | Comments(12)

10月29日~31日まで行われた桜井茶臼山古墳の発掘現地説明会に行ってきました。
現説に行くのは、ほんとに久しぶりです☆

桜井市外山(とび)にある桜井茶臼山古墳は古墳時代前期の前方後円墳。
全長200メートル、後円部には竪穴式石室があって、国史跡に指定されています。
昭和24年に最初の発掘がされて木棺があることは確認されてたんですが、
今回60年ぶりに詳細を調査するため再発掘が行われました。
これまでの出土品としては玉杖が有名ですね。
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ここは、以前は個人の所有で、天皇陵に比定されてないので発掘ができたんですね。
並んで順番を待っていると、説明のパネルが掛けてありました。
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内部には、全長5メートル近い高野槇の割竹形木棺があったそうです。
今はとりだされて、橿原考古学研究所で保存処理され、研究中。
今日は見られないので、パネルで辛抱(笑)。
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石室は水銀朱を塗った石材を積み重ねて作られていて、南北6.75メートルという巨大さです。
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で、これが実物!
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聞いてみたら、この石材、見えないところまで水銀朱を塗ってあって、
まるで、一枚づつジャブンと水銀朱に浸けたようだそうです。
使われた水銀朱の推定総重量は200キロ…これまで多いとされてた天神山古墳の5倍です!
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天井には12枚のこれも水銀朱を塗った天井石が。
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天井石はベンガラを練りこんだ粘土で覆われ、その上に土を盛り上げて方型檀を築いたと思われます。
その裾には布掘り掘り方の溝が掘られ、柱が林立して「丸太垣」とも言うべき堅牢な塀があったらしい。
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この小石は古墳を葺いた礫の一部か?
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天井石の最大のものは、全長2.75メートル推定重量1.5トン!
産地は、柏原市近辺や羽曳野市をはじめ、遠く徳島の沼島あたりのものもあるそうです。
これほど巨大な石を取り寄せるということは、徳島にもその勢力が及んでいた、ということでもあるでしょうね。
使用された水銀朱の膨大な量とともに、被葬者とその一族の権力の巨大さがうかがえます。

この近くにはメスリ山古墳などもあって、強大な権力がかつてこの地に会ったことを偲ばせます。
磐余の王権とのかかわりは?
そして、箸墓とのかかわりは??
う~~ん、ロマンだわ~☆

茶臼山古墳のそばの報恩寺では、この現説に合わせて秘仏を公開しておられました。
平安時代の阿弥陀仏で、穏やかなお顔でしたよ。
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趣のある家々の間をぶらぶら歩いていると、目の前に三輪山が!
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かと思うとハローウィンの飾りつけもしてあります。
でかい!しかもこれは本物のカボチャだわ~♪
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また、不動尊の公開もあって、地元の方々が親切に案内してくださいます。
信仰が根付いてるんですね~。
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不動院そばの宗像神社には、能楽宝生流発祥の地の碑もありました。
宝生流は観阿弥の長男宝生太夫、もしくは観阿弥の子蓮阿弥が流祖と言われ、
大和猿楽の外山座の流れをくむとされてるんですね。
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玄関のしつらえが、とっても素敵なお宅です☆
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これは大和棟☆
もう茅葺じゃないですけど・・・このお宅に限らず、桜井は重厚な日本建築のお宅が、それはもうたくさん!
歴史のある、豊かな町だったんですねえ。
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そんな街の一角にお風呂屋さんの煙突が。
青空にすっくり立つ煙突が気持ちよさそう~。
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茶臼山古墳までは徒歩20分ほど、良いお天気でぶらぶら歩くのにぴったりの距離でした。

桜井市は昭和30年代ごろから、木材の集散、加工などでたいそう栄えた町なんですが、
近年は林業の衰退もあって、町もさびしくなってきてるようで、
ご多分にもれず、シャッター商店街になりつつあるようでした・・・・

今日のおまけ

ホトトギスの花ですね。
この花の点々が鳥の時鳥(ほととぎす)の口の中みたいなので、この名前がついたんですって。
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これはオキザリスかな…
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by nagiwi | 2009-10-31 19:32 | 現地説明会 | Comments(12)

奈良教育大学の構内で今年8月から行われた埋蔵文化財の調査で、
新薬師寺のものと思われる大型建物の基壇が発掘され、公開されたので行ってきました。
新薬師寺旧境内大型基壇建物遺構
先日の寒さが嘘のように、今日は暖かでいいお天気。
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奈良教育大学は、創立120年。
校内はゆったりとして、紅葉が青空に映えて綺麗です。
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今日は創立120周年の記念式典があったそうで、のぼりがいっぱい立ってました・・・せんとくんでもまんとくんでもない・・・あなたは誰?
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見事に真っ赤な古木
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式典会場の横をずっと歩いていくと発掘現場があります
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今回の調査であらわれたのは、幅約68メートル、高さ2メートル前後と推定される基壇・・・東大寺より大きいことになるそうです・・・・
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基壇化粧石組み(凝灰岩)
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内陣への階段?
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柱石列
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版築壷堀地業
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説明会がないのがやや不満ですが、この発掘で、新薬師寺に関する東大寺要録の記述の正しさが裏付けられたことになります。ここと現在の新薬師寺は写真美術館をはさんでほぼ並行らしいですよ~。
この教育大学は、戦前戦中を通して旧陸軍聯隊があったそうで、新薬師寺の遺構の上には聯隊の跡が乗っかってたと言うことらしい。
で、その聯隊の倉庫が資料館になっていて、出土品が展示されていました。
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8世紀の瓦。
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奈良三彩のかけら。ほかにも木そ漆の破片なども出土したそうです。
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現在の新薬師寺は、いかにもひなびた古寺で、仏と人との距離も近く、
そういうところが私は大好きなんですが、
創建当事は、それは見事なものだったんでしょうね・・・・などと考えながら、秋の日差しの中をぶらぶら歩き、久しぶりに元興寺に入ってみました。
そばはしょっちゅう通るんですが、お金を払ってはいるのは久しぶり。
元興寺は奈良に都が移ったとき、一緒に飛鳥から移ってきて、威容を誇ったけれど
やがて衰え、庶民の浄土信仰を集めたこの極楽坊だけが残った。
そういうところ、ちょっと新薬師寺とも共通するかな・・・
この行基葺の屋根の形、好きです!
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禅堂と本堂、そして境内には庶民の信仰を集めたたくさんの石仏が・・・
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実家へ顔を出そうと、ぶらぶらと奈良町を歩いていると、心樹庵という新しいお店を発見。
いい感じなのでちょっと入ってご主人といろいろお話をしてみたら・・・以前にお友達のsmashさんから、「奈良に中国茶の美味しいお店ができたよ!」と紹介されたお店でした~♪
中国茶だけではなく、日本茶も色々あって、お茶請けも美味しく、実家へ行くのを忘れそうなほど(笑)
奈良町散策に疲れたとき、のんびりするのちょうどいいですね。
皆さんどうぞごひいきに(笑)
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この春、卒業パーティをした由庵の近くでしたよ。

実家に着くのはすっかり遅くなってしまいました(汗)が、ゆったりのんびり歩いた一日でした。
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by nagiwi | 2008-11-23 00:54 | 現地説明会 | Comments(4)

土曜日に

平城宮跡431次(中央区第1次大極殿院)発掘調査の現地説明会に行って来ました。
丁度復原工事中の大極殿の前あたり。
向こうに見えるのは朱雀門ですね。
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蒸し暑い日でしたけど、説明会の参加者は500人ぐらい。
今回は奈良時代半ばまで使用され、その後解体されたと思われる
大極殿院南面築地回廊の調査です。

南面築地回廊の基壇には、基礎となる地面をいちど掘り下げ、
土を搗き固めてから版築層を積み重ねる版築工法が用いられています。
基壇には柱を立てたと思しい礎石の抜取穴がいくつかあったほか
雨落ちの溝や、小石を敷き詰めた礫敷きの広場、
そして礫敷きの上には瓦だまりも見られました。
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この瓦は回廊が解体されたときに投げ捨てられたものらしく、
下の写真のようにはっきりと形が残ったものも。
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こういうのも出てきたそうです☆
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奈良時代の半ばと言うと、
聖武天皇が恭仁京から紫香楽宮そして難波へと宮を移し続けた頃。
ここにあった回廊の材木も、聖武天皇と一緒にあちこちさ迷ったのか・・・・

何時か皆さんと登った生駒山での
「奈良盆地を囲む山を材木を引っ張って越えるのは、さぞ大変だったろう」
と言う会話を思い出して、にやりとしてしまった私でした。
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by nagiwi | 2008-06-10 00:38 | 現地説明会 | Comments(11)

かるほさんやゆずさんのところの、唐招提寺の見学会のレポートを読んで
4日の日曜日、私も行って来ました!

西の京の駅に着いたのは1時ごろだったでしょうか。
「駅を出たらすぐに行列」を覚悟してたんですけど、あれ?帰ってくる人ばっかりやわ。
唐招提寺に向かう人はパラパラです・・・・・

さすがに門前には30人ほどの行列がありましたが、そのまま並ぶことなく建物に入ります。
境内に張られた、行列整理用の黄色いロープを辿っていくのが、めんどくさい(笑)

2階のパネル展示を見ると、これまでの解体修理の様子がよくわかります・・・
これは、もともとの唐招提寺を飾った繧繝ぼかしの模様なんですが、
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先日の正倉院展で見たフェルトの花氈に似てて、ああ、同じ時代を生きてきたんだなあと改めて思いました。

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いつもは宝蔵に入ってる天平のシビも今日はお出まし。
長年の苦労でお肌はぼろぼろやし(笑)

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この鬼瓦は元禄に作られた、との銘と、葵の御紋が入ってます。

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隅鬼ちゃん、ご苦労様☆

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このカーブが好きなんですよね~。
東側には古い瓦が集められていると、かるほさんのブログで見たので、
「東側だと持ちがいいんですか?」と聞いてみたら、
「北側だと、日あたりが悪くて、雨の後も乾きにくいので、瓦も早く傷む」そうです。

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もう一匹の隅鬼。がんばれ~。

今回は隅鬼やシビの面白さもさることながら、
この屋根を、こんなに間近に見ることはもうないんだなあと思いながら、
綺麗なカーブを描く天平の甍を、あちこちの角度から幾度も眺めて、
なんだかニコニコしてしまいました。

次の修理まで多分あと100年以上。
ほんとに良いものを見せていただきました。
今に生まれてよかったなあ☆

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唐招提寺に来たら、それはやっぱり鑑真さんにご挨拶。手と心を清めてお参り。
帰ろうとしたら、こんなものを見つけました。
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わかりにくいですけど、大きな木の切り株の苔の中から新しい杉の新芽が幾つも出てます!
辺りを見回したら、ほかにも幾つか。
この中のどれかは、数十年後に切り株より大きな木になるかもしれません。
命が静かに交代してるんですね。

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この古い築地塀はどれほど沢山の人を見てきたことか、と改めて思いました。

いつもは西ノ京に戻ることが多いんですが、思い立って、尼辻まで戻ることにしました。
いつも電車の窓から見てる垂仁天皇陵を近くで見てみたくなったんです。
線路沿いに歩いていたら、きったない池に動いてるもの発見。
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鴨かな?
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わ、やっぱり鴨!見物の私にこれっぽちの注意も払うことなく、一生懸命餌を探してました。

これもまた命です・・・・

暫く行くと、垂仁天皇陵(宝来山古墳)。
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きれいですねえ・・・

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この古墳は陪塚があります・・・葬られてるのは田道間守。
垂仁天皇の命を受けて常世の国に非時香菓(ときじくのかぐのこのみ・・・橘のことらしい)を探しに行って、帰ってきたら垂仁天皇がなくなってたので、それを陵に植えて殉死した、と言われてます。「右近の橘」はこれから始まったそうな・・・
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御陵の周りをぐるっと半周すると
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「唐招提寺」の石碑が。「寺」の字は畑に埋まってて、そこだけ掘り起こしてありました。

あの覆屋が取り去られて、門を入った途端に見事なカーブを描く大屋根が見られるようになるのももうすぐ。
手の届くところにあった屋根の姿を、目の中に残しておこうと、反芻しながら帰りました。

行列を覚悟して行ったんですけど、意外にすいてて、ラッキ~でした☆
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by nagiwi | 2007-11-05 17:35 | 現地説明会 | Comments(6)