びっくり!

なんとまあ、ソムリエ検定に合格してしまいました☆

いや~~~、本人が一番驚いています・・・・

しかも、75点も取れたようです……・

これって、200字、400字の文章題が8割以上とれたんじゃないかと思われ。
自らの答案を思い出しても今一つ??二つ??疑問符が(汗)
でもね~、有難いことに、疑いようもなく、目の前にソムリエのカードとバッチが!!

わ~~~い、わ~~~い、合格したよう~~~!!!!
三度目の正直だ!
うれし~~な~~~~☆☆☆

・・・・・・これでもう年末年始にヒイコラ勉強しなくていいんだわ(笑)・・・・・・

ご心配頂きましたみなさま、採点の先生方、ほんとにありがとうございました☆

これで四月からは、「私ってソムリエ合格したのよ」というひそかな自信を胸に、ボランティア・ガイドの活動に頑張れます!

ちなみに、今回のソムリエ受験者は203人、合格者48人、合格率23.6%、平均点58.4点
最高点は89点(あのテストで89点?!すご!!)
だそうです。
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by nagiwi | 2016-03-26 09:50 | まほろば検定 | Comments(8)

まほろば検定!

1月12日、ソムリエの試験をやっつけてきました!

去年は孫娘が産まれたばかりで受験できなかったので、
ソムリエの試験を受けるのは今年が初めて、ってことになります。

試験会場は去年までと違って、東生駒の帝塚山大学で、ソムリエの試験は午後二時から。
試験に向かう電車の中でも、、最後のあがきにテキストや自分の纏めたメモを見たり、
気になる漢字をスマホで引いたりしてるうちに東生駒駅に到着しました。
この日は底冷えのする薄曇りの日でしたが、駅前には検定おなじみの奈良交通のシャトルバスがお出迎え。
あっという間に満席になってしまいました・・・・・これみんなソムリエを受ける人なんだよね・・・・・

この大学に来るのは初めてですが、係りの人が何人もいるので、安心して教室へ行って席について
あれこれ注意を受けた後、試験が始まりました。

サポートセミナーでも聞いたんですが、今年から四択問題が25問50点になり、200字問題が2問で一問15点、400字問題が1問20点の配点になりました。

今年の四択はいつものような「これ何?」って言うのは少なくて、割に素直な感じ・・・・・今年減った5問分が「これ何?」だったのかも(笑)
それに、サポートセミナーでの頂いたプリントから結構たくさん出題されてて、一瞬「これはいただきだわ!」
と思ったのも束の間・・・・・

400字の設問を見て、血の気がすーっと引きました。

だって・・・・・
1)三条通
2)葛下川
3)竹内街道
4)甘樫丘
5)賀名生皇居跡

をいをい!!

奈良市から今年出題されるのは、過去問から考えて、西ノ京か、新薬師寺か、佐紀三陵あたり、と
ヤマをかけて、案内ルートを4つもこしらえたのに…・・

三条通~~??!!
三条通りのどこを書けばいいの?
三条通りにあるのって、興福寺と東大寺と春日大社?
すんごく普通じゃない?
普通すぎて、差別化が出来ないわ…・

葛下川って、どこを流れてるのよ!
竹の内街道?!?
當麻じゃなくて、竹内街道なの?その意図はどこにあるの???
賀名生皇居跡で、梅の花見て、堀家住宅見て帰ってきます、ではあかんやろね?!
ひえ~~~~~どうすればいいの~~~!!!!
って感じです・・・・・

とりあえず200字問題をカリカリと書きはじめながら、頭の中は「どこを書くか」でいっぱい。
三条通り、と甘樫丘で、どっちが描きやすいか、を考えてたら
「あと一時間です」(汗)
考えてる時間なんか、無いんやわ!
と言うことで、甘樫丘をチョイス。
でも、明日香甘樫丘ってほんとに王道だから、これも差別化が難しいの・・・・・
でも、迷ってる時間がないのはよくわかってたので、好き勝手なことを書き散らしてると、
「あと10分」
ええええ????
まだ最後の締めが出来てないのに…・
結局最後の一分まで書き続けて、やっと出来上がりました。
四択も、200字も400字も、見直しできませんでした・・・・

出てきたら、かるほさんが待っててくれたので、
第一声に
「ひどいねんよ!」と訴えてしまいましたわ~。

あとで思い返してみたら、漢字がいくつか間違ってたり、200字で書き落としたことがあったり、
もっと考えたら、三条通りの歴史を軽く語ってから、春日大社を重点的に書けばよかったなあ、と言うことに気が付いたりして…・
がっくり落ち込んでしまいました…・

合否の判定は3月24日に出るそうで
二ヶ月は長いです!

とは言え、ようやく試験が終わったので、心は軽く、
この日は答え合わせ合宿(笑)
次の日は五条へと出かけました。
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by nagiwi | 2014-01-16 23:10 | まほろば検定 | Comments(0)

11月3日には、ソムリエ認定支援セミナーが中小企業会館でありました。
このセミナーに出ると、さあ、テストだ!っていう実感がわいてきます。

例年通り、9時半開始ですが4階の会場は満員。

午前中は高橋先生、午後からは来村先生のお話があります。

高橋先生は、「地形図大和の歴史を読む」がテーマで、例年通り数枚の地図を配られましたが、今回の地図は、奈良市、畝傍山、大和郡山と信貴山、そして桜井です。
昨年、先生の地図を見ると出題傾向が分かりやすいのでは、というクレームが出たそうで、なんだか漠然とした地図が配布されました・・・・・・・・これだとほぼ奈良盆地を全部カバーしてます・・・・・去年は確かに、分かりやすかったよ~。
今年も頼りにしてたのに、そんなクレーム、出してほしくなかった(劇汗)

来村先生のプリントは、情報満載~♪
一枚目は「文化財関連法令と遺産登録文化財」・・・・・う~む、これ新しい(笑)
「国指定史跡」「奈良県内で発掘発見された考古学史上の重要遺跡」
二枚目には「室町から近代までの歴史人物、著名人」・・・・な、なるほど・・・・「奈良の地名にかかる枕詞」「国指定民俗文化財」・・・・これ、弱いんだわ…・
三枚目は「国宝彫刻」

最初から最後まで精力的なお話で、中身が濃かったですが、会場は満員で人口密度が高かったので(笑)空気が悪かったわ…・

そして、今回、とっても嬉しかったのは、たらちゃんにお目にかかったことでした!
期せずして私の斜め前に座っておられたんですよ☆
お目にかかるのって、何年ぶり?
講義の間の短い時間でしたが、とっても楽しくお喋り出来ました♪
そして、たらちゃんと反対の斜め前に座っておられた男性が、奈良大学の現役通信生であることも判明し、すっかり楽しい気分に。

このセミナーが思いもかけずお勉強だけじゃない、充実した時間になりました☆

今回の試験は帝塚山大学東生駒キャンパスで行われます。
このキャンパスへは、近鉄東生駒駅からバスで5分「帝塚山大学」バス停からすぐ、だそうですが・・・・
今ちょっと検索したところ、日曜祝日は「帝塚山大学」行きは一時間に一本(毎時35分)。
「帝塚山住宅」行きでも良いみたいで、これは一時間に二本(毎時15分と35分)
ちょっと時間に余裕を見た方が良いかもしれませんね。
・・・・・・検定試験の日には臨時バスが出たりするのかな?

たらちゃん、あのあと体調はいかがですか。
当日また会場でお目にかかりましょうね!
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by nagiwi | 2013-11-07 14:51 | まほろば検定 | Comments(6)

11月に入ってすっかり秋らしくなり、夏の間眠っていた私の向学心も少し目覚めたようで(笑)
3日、4日、5日と、少しばかりお勉強にいそしんで来ました(笑)

まず、3日は橿考研の公開講演会「古事記の新たな世界」。
この日は3つの講演があって、会場は1000人入るという郡山城ホールです。

最初は前園実知雄先生の講演で「『古事記』」編者太安万侶墓の発掘からわかること」。
太安万侶の墓誌が発見されてから今年で33年がたちますが、最近、この墓誌に墨書の痕跡があったことが話題となりましたね。
この発掘に関わられた前園先生のお話はとても興味深かったですが、なかでも、土地の公有化によって古墳時代が終焉し、都の北方、東方に公葬地が設定されて皇族や官人が葬られたというお話は面白かったです☆
確かに、生駒山近辺には行基墓、美努岡萬呂墓、都の東方の大和高原では太安万侶墓、小治田安萬呂墓、光仁天皇、志貴皇子も葬られていまし、平城京北方には元明、元正天皇、聖武天皇、光明皇后、那富山墓もありますね・・・

休憩をはさんで次は、今尾文昭先生の「考古学から見た古事記の世界」-「舒明」期再見。
これまで、さしたる事績を残さなかったといわれている舒明天皇ですが、実は、推古期と舒明期を比べるとそこには大きな差があって。
桜井市吉備池で発掘された大寺院の跡が、舒明天皇が作らせた百済大寺とみられているのですが。
このお寺は歴然とした方位性を持っていて、推古以前は方位性を持たなかったと飛鳥岡本宮などとは明らかに違っている。
このように、舒明期以降は方位性のある寺や宮が造営されたし、王陵は方墳から八角墳となっていきました。
つまり、古事記に言うところの「上古の時」は推古以前、「今の時」が舒明期以降を差し、それ以降舒明天皇に連なる王統が正統となった新たな時代が到来したということでした。

最後は千田稔先生の「天武天皇と『古事記』ー天武天皇の世界観と史書」
古事記と日本書紀の記述に色々と違いがあるのはよく知られていることですが、古事記には天武天皇を中心とする飛鳥朝の影響が大きく、日本書紀は奈良朝の(藤原氏の?)意図による歴史書で。
古事記においては、天孫降臨神話が天武天皇とかかわりの深い海神宮神話へと転換されるなど、天武天皇の石が色濃く反映されています。
しかし、日本書紀には古事記で重用された神が表れないことや、国生み神話における淡路島の扱いの差などに、古事記と日本書紀を書かせた人の意志の差が如実に表れている・・・と言うようなお話でした。
ただ、千田先生、時間配分を少し間違えられたようで、ど~っと走ったところと短~くはしょられたところが混在しておりました(汗)

千人入るホールがほぼ満員だったし、一時から四時過ぎまでの長い講演会だったのですが、一度も眠くならなくて(笑)、なかなか面白いかったです!
しかし、一番面白かったのは、最初の講演が終わった時、目の前に立っておられた朱雀さんを発見したことでした・・・・ほんとに意外なところでよくお会いしますね☆


さて、翌日4日は、近鉄奈良駅前の商工会館で行われた、まほろばソムリエ支援セミナー。

午前中は高橋先生、午後からは来村先生がみっちりお話してくださいました。

高橋先生は、「地形図大和の歴史を読む」がテーマで、例年通り数枚の地図を配られましたが、今年は、奈良市、高田市、桜井市~天理市、大和郡山、吉野、でしたね。

来村先生は今年、試験対策参考資料と言うレジメを作ってくださいました!
内容は、「主な川とダム」とか、「天然記念物」とか、「史跡」とか、「陵墓」とか、「歴史人物」とか、「各種遺産」などがびっしりとまとめられていました。
濃い~~~内容で、もしかしたらラッキーかも?!?

ただ、この日、会場はびっしりと満員で・・・どうも風邪をひいたような気が…・

5日は正倉院展へ。
某旅行会社のやってる奈良博の西山先生の講演会があったので、それに参加してお話を聞いてから行きました。
西山先生によると、日本中の博物館員の中で梱包が一番上手なのは奈良博の館員だそうで。
それは、正倉院御物と言うたいそう梱包しにくいものを毎年梱包しているからだとか・・・なるほど、確かにそうですよね!
奈良時代の絹織物なんて、触っただけで崩れるそうですもの・・・・・
その他にも、「紫檀金銀絵書几」は書見台らしいがどうも使いにくそうだな~と思っていたら、古い中国の絵の中に同じようなものを発見した、とか、今は使われていない楽器(笙?や金属板?)も、同じく古い中国の絵の中に出てくる、とか、「紫檀小架」はどうしても使い方が分からない、とか面白いお話が満載でした☆
他にも、日本産の鉛ガラスはとっても重い、とか、大仏開眼をした菩提遷那の署名のある文書が出てる、とか・・・・・そうそう、今年の目玉である「瑠璃杯」は照明にとっても苦労されたとか。

そう言うお話を聞いて奈良博に着いたのは2時半ごろ?
なんとまあ、行列がなかったんです!!
まあ、行列のない正倉院展なんて、何年ぶりかしら(涙)
いそいそと中に入ってみたら、やっぱりそこそこの人出で、瑠璃杯の周りには例の(笑)グルグル巻きが20分待ちで出来てましたが、実際にはあっという間に最前列まで行けたし、とっても見やすかったです~♪
瑠璃杯のほかにも、クチナシ型、とんぼ玉、ねじり玉などのガラス玉が多数出ていましたし、その他にも、材料のガラス板、黄色と碧の小尺などガラス製品が沢山ありましたが、今回私が一番気に入ったのは、青いガラスの露玉。
3センチほどの洋梨のような形の露玉は、日本産の鉛ガラス。
1300年の時をその中に閉じ込めたように、美しかったです☆

他にも、先生のお話に出ていた、楽器類や書几、小架、菩提遷那の署名のある書類、をしっかり見たのは言うまでもありません♪

お話を聞いた後でゆっくり拝見すると理解が深まるようで、面白かったです☆
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奈良博の敷地に有るお茶室「八窓庵」。
一本だけ紅葉していました。
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by nagiwi | 2012-11-15 02:22 | まほろば検定 | Comments(4)

一級合格!

一月八日に受けた奈良検定の結果が到着。
88点で無事合格して居りました~♪

いや~、苦節三年、漸くの一級で、ほんとに嬉しいです。
昨年は受験できず、今年は友人のお通夜と重なると云うコンディションだったので、
もしかして検定に縁がないのか?と思ったりしてただけに、すんごく嬉しいですわ~~ん。

受験者数357名、合格者202名、合格率56.6%、平均点70.7点だそうです。

去年は確か一級の合格率が77%位だったので、
今年は厳しくなるかも、難しくなったらいやだなあ、と思ってたんですが、
なんとかクリアできてほんとに良かったです☆☆☆

さあ、これで「ソムリエを目指してます」と公言できるわ(笑)
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by nagiwi | 2012-02-24 01:41 | まほろば検定 | Comments(10)

奈良検定と友人の死

一月八日は皆さんご存知の奈良検定で、昨年は野暮用が入って一級の試験が受けられなかった私も、今年は是非とも!の気持ちでちょっとばかり(汗)準備もし、その夜は反省合宿に参加するぞ~と思っていたのですが…・

前日の朝、友人の訃報が入ってしまいました。
彼はお向かいの旦那さんで・・・まだ61歳。
悪性の病気だったんですが発見から一年足らずで、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いもよりませんでした。
このお宅とうちとは家族ぐるみの付き合いで、家族構成も年齢も近くて、それに何より気があって、ほぼ一緒に子育てをしたような仲で..........
遊ぶのも、出かけるのもいつも一緒で、子育ての時代を振り返ると、どの場面にも彼が登場するようです。

ぶっきらぼうな人でしたが、心根が優しくて、うちの子たちをほんとにかわいがってくれて。
それだけに、夫も私も息子も茫然としてしまいました。

それで、奈良検定だけは受験しましたが、その後のお楽しみはキャンセルさせていただいて、お通夜お葬式と参列してきました。

式の間中、ご家族が毅然としておられたのがとても立派で印象的だったんですが、ことに奥さんがきびきびと弔問客に対応しておられたのが、却って痛ましかったですね…・奥さんは彼の一番の理解者で、お互いをほんとに大事にしておられたんですよね・・・それを知ってるだけに・・・・


もう10日近くたちますが、悲しみはなかなか薄れてくれません。
若い死は周りの人間にいろんなことを考えさせるんだなあ、と痛感する毎日です。

検定のほうは…あんまり集中できなかったので、早めに出てきました。
答え合わせもしなくちゃ、と思いながらそのままになってるんですよね。
結構過去問とポロリから出てたような気はするので、近日中にチェックします!
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by nagiwi | 2012-01-16 18:21 | まほろば検定 | Comments(4)

10月23日に「奈良時代の争乱を検証する」に参加してきました!

10月もそろそろ終わりに近づいたと云うのに、もうひとつお勉強のモチベーションが上がってこないので、
こういうプログラムに参加することで自分を鼓舞せねば、と思ったんです~。
講師は来村多加史先生。
先生の顔を見ると、あ、検定だ~、っていう気分になります(笑)
結構間際に申し込んでも大丈夫だったので、バスはすいてるのかと思ったら、37名参加だそうで、
ほぼ満席でしたわ。

この日のコースは、
午前中は 頭塔~吉備塚古墳~三里古墳~長屋王墓~吉備内親王墓 
昼食をはさんで 西大寺~成務天皇陵~日葉酢媛陵~平城天皇陵~平城宮跡遺構展示館~那冨山墓~聖武天皇光明皇后陵
御陵や古墳合わせて10個も見られる~♪

JR奈良駅でバスに乗り込んであっという間にバスを降り、少し歩くと家並みの間から頭塔が見えます。
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奈良には、藤原仲麻呂に筑紫に左遷された玄昉がその地で憤死したとき、全身がばらばらになって奈良に飛んで帰ってきて奈良町のあちこちに落っこちた、という言い伝えがあって、その頭が落ちたところが頭塔、腕が落ちたところが肘塚(貝塚町)眉が落ちたところが眉目山町(大豆山町)だ、と言われていました。
実際にはこれは七重の土塔で、実忠によって建立されたことや東大寺から真っすぐ南行したところにあることから、東大寺とゆかりの深い塔であったと思われます。
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面白い形ですよね。
昭和55年ごろに発掘調査されるまでは、土の山でしたが、現在は半分だけ復元されてます
一辺25メートルの方形で高さは8メートル。
四方に仏龕が設けら、それぞれに石仏が収まっており、最上段のるしゃなぶつ(東大寺と同じですね)を頂点とする仏の世界を表してるそうです。
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南面の釈迦五尊かな。土塔というのは堺や岡山にもあるけど、結構珍しいものだそうです。
少し歩いて、奈良教育大学の構内に入ります。
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吉備塚古墳は大学の中にあるんですよ・・・・そして、大学の中には鹿の群れもいました(笑)
写真の中に小さく鹿も写ってるのが分かるかな~。
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吉備塚古墳は、古くから吉備真備の墓と言い伝えられてきましたが、直径20メートルの円墳。
当然、吉備真備のお墓ではありませんね。
平成14年15年の発掘調査で二基の埋葬施設が確認されたそうです。
お話し中の先生の後ろの土手が古墳。埋葬施設の上あたりをしっかり踏んできました。

ここから次の三里古墳までバスで移動します。

三里古墳は内部が露出してます。これは、組合式石棺ですが、他に、家形石棺や木棺もあったそうです。
勿論、中に立ってみましたが小さい気がします・・・私は入れるかな?(笑)
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三里古墳は平群谷にある後期の前方後円墳で、玄室の奥に石棚があることで知られてますが、これがそれ。
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今は下部が土に埋もれたため、石棚の下には10センチ程度しか空間がありません。
石棚のある古墳は紀ノ川流域に多いため、紀氏との関係も言われてるそうな。
そういえば、そばには紀氏神社、という道標も出てましたわ。
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平群谷の景色・・・矢田丘陵が綺麗です。
生駒山も矢田丘陵も傾動地塊という地形だそうで…地面が隆起して一方がパチンと撥ねてできたらしい。
撥ねた方は急斜面になり、反対側は緩やかな丘陵になるんですね。
この矢田丘陵と生駒山に挟まれた平群谷は、平群氏の本貫地として沢山の古墳があることで知られてます、

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で、これが長屋王の墓、と言われるものですが・・・・前方後円墳です(汗)
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で、これが吉備内親王の墓・・・・?
長屋王は高市皇子の長男で左大臣でしたが、光明皇后の立后に反対して謀反の罪を着せられて、妃の吉備内親王とともに屋敷で自害、亡骸は生駒山に葬られた、と続日本紀にあったため、ここがお墓に治定されたんでしょう。
あたりには6基の古墳群があったそうですが、住宅開発で失われました。
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吉備内親王の墓から見た平群谷の景色。真ん中のちょこんと高い林が烏土塚古墳だそうです。

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昼食は簡保の宿で、大和地鶏のすき焼きでした。
昼食後バスで西大寺に移動。
お腹がいっぱいだったので少し居眠りしたりして(笑)

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西大寺は孝謙天皇が戦勝を祈願して四天王をまつる四王院が創建されました。
四王院は焼け落ちましたが、邪鬼だけはその当時のもので、現在の四天王像はその上に両足を載せています。
普通、四天王は片足で邪鬼を踏みつけるものなので、このことから、創建時の四天王像は相当大きかったと思われます。
往時は八角の塔があったそうですが、今は基壇が残るだけ。
この日はお茶会があったようで、着物を着た人が沢山、とても賑やかでした☆

西大寺から少しバスで走って、佐紀三稜に向かいます。
平城京後背の奈良山丘陵の南側には古墳時代前期中期に沢山の古墳が築造され、佐紀盾波古墳群と呼ばれています。
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これは成務天皇陵の陪塚ですね。
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成務天皇陵、日葉酢媛命陵、称徳天皇陵はほとんどくっついてます。右が成務天皇陵、左が日葉酢媛命陵。
古墳の間を歩いて行くこのコースを歩くのが楽しみだったんですが、この日はお天気も良く汗ばむほどだったのが、古墳の間は涼しくてほんとにいい気分!
前方後円墳は尾根の上に築造されることが多く、周壕の水位を一定にするために渡土堤が築かれるそうですが、この二つの古墳にも渡土堤がありました。
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日葉酢媛命陵の島状遺構。
古墳時代前期には前方部と後円部の高さは同じぐらいだったのが、時代が下るにつれて後円部が高くなる、とか、地形を見ながら歩くと面白い、とか…先生のお話を聞きながら歩いていると、いつの間にか佐紀町の家並みの中。そして少しのぼりになるとそこには平城天皇楊梅陵に治定されている市庭古墳がありました。
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市庭古墳は前方後円墳だったのが平城京の造成で前方部が削られてますが、削りきれてない部分が周囲より一段高くなってました。
平城天皇は平安時代の天皇さんだから、前方後円墳で眠ってはおられないような気が。
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ここから平城京はすぐそこ。大極殿が間近に見えます。
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平城京は平地ではありますが微高地に位置し、平城宮跡から外京を見ると、途中で一度下がってまた登ってるのが・・・・・目視では分かったんですが、写真にすると分かりにくいですね(汗)
ま、そういうことで、水はけも良く環境は良かった、ということです、はい(笑)。

このあと少しバスで走って、さあ、那富山墓へ行こう、としたところ、突然雨が!
相当激しく降ったんですが、すぐに小ぶりになったので出発。
この辺りは黒髪山なんですが、この黒髪山の稜線は木津川の分水嶺で…山の中って感じ(笑)
この尾根の突端に聖武天皇の皇太子であった基王のお墓があります。
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光明皇后を母として生まれ、わずか二カ月で皇太子となったこの皇子ですが、翌年には逝去してしまいました。
お墓には、獣頭人身を刻んだ護石が立てられました。
現在は隼人石と呼ばれていますが、今も鼠らしき横顔を見ることができました。
先生によると、このお墓は風水から見て素晴らしい立地だそうで、そのお墓にこの石像を置いたことからも、聖武天皇と光明皇后のこの皇子に寄せる思いの深さがしのばれるそうです。
確かに・…幼いわが子に先立たれるほどつらいことはないと思います…・それは、どれほど位が高くても同じでしょうね…・

ここからはどんどん下っていきます。
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見晴らしが綺麗!

本日の最後は聖武天皇陵と光明皇后陵です☆
左の道を行くと聖武天皇陵で、右が光明皇后陵。
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道が分かれるあたりに、菩提寺として眉間寺が建てられていたそうです。
これが聖武天皇陵
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そしてこれが光明皇后陵。
二人は仲好く眠ったはる…・はずだったんですが・・・・・

以前に多聞城跡(現若草中学校)を歩いたことがありますが、あのとき、校庭の中にとっても深い切れ目(掘)があって、校庭が二つに分断され橋がかかってたのを思い出します。
その堀は松永久秀が多聞城を築いた時に掘った堀なんですね。
で。
この聖武天皇陵と光明皇后陵の間にも、深~い堀切りが走ってて、これはその堀の扉。
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織田信長はこの多聞城を訪れた時、この堀の深さに驚いたそうですが、それ以前の築城では山をこんなに深く切り裂いて堀を作ったりはしなかったそうです。

天をも恐れぬ、とはこのこと?(笑)
ここで辺りは少し薄暗くなってきて、本日のプログラムは終了しました。

このコースでは平群古墳群の三里古墳を実際に見られたこと、佐紀三陵と黒髪山を歩いたのが楽しかったな~。
思いのほか歩く距離が長かったのが嬉しかった☆
久しぶりにプログラムに参加して、勉強意欲がやや亢進したのは間違いないです・・・・やや、ですけど(笑)
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by nagiwi | 2011-10-29 02:43 | まほろば検定 | Comments(0)

12月5日、奈良女子大学であった認定支援セミナーに参加してきました☆

この日はからりと晴れて心地良い晴天で、奈良マラソンの当日。
勿論そのことは知ってたんですが、近鉄奈良駅から地上へ出た途端、
道いっぱいに、人、人、人!!!!
皆さん登り大路を東へとひた走ってる…・
はじめて見る光景に、思わずポッカリ口をあいて眺めてしまいました~(笑)

なんとか気を取り直して奈良女子大に着いたら、紅葉がと~っても綺麗でしたわ~~ん♪

教室にはすでにかるほさんが着席しておられたので、隣の席を確保。
昨年は確か満席だったような気がするんですが、今年は少し空席もありました。

・・・・・・・そうです、一級支援セミナー受講は去年に続き二回目・・・・・・・しかも、1月の検定当日は予定が入ってしまって受験できないので、来年も受講することになるのよね。
あ~~あ(涙)・・・・・・・・・
とは言え、教室に入ってノートをさくさくとってると、大学のスクーリングを思い出して楽しい♪

この日の日程は

1、奈良の地勢と自然・・高橋誠一先生
2、国宝の仏像・・関根俊一先生
3、大和の祭りと芸能・・鹿谷勲先生
4、奈良の史跡・名所・・来村多加史先生
5、奈良の史跡・名所・・来村多加史先生

と言うラインナップ。
去年とほぼ同じ顔ぶれですが、祭りと芸能が新しい講座ですね。

それと、今回から過去問の中から再出題があるということになったそうで、一級は30%は過去問から出るそうです!

1限目の講義では、今では奈良県を差す「大和」という言葉が、そもそもは盆地の南東部、今の大和神社あたりの狭い範囲を示す言葉で、それが拡大移動したものであること。その、日本全体の千分の一の面積の中で大和の歴史は始まった、と話されました。
そして、奈良県は、中央構造線によって内帯(国中、東山中、西山中、奥)と外帯(南山)に分けられ、南北でまるで違った個性を持っているとのことでした。
また、下つ道、中つ道、上つ道、横大路の古代の交通路と峠との関係性や、台高山脈の話など、あっという間に一時間が経ちました。

2限目の「国宝の仏像」は、銅造、乾漆造り、木彫と、奈良の仏像の技法も材質もバラエティーに富んでいることや、慶派の仏師の話など、ほぼ去年と同じ内容だったような…・

ここでお昼ごはん。
あんまり食べると眠くなりそうでした・・・・・

午後一の講義は奈良県立民俗博物館の学芸課長さんのお話で、大和の祭りについて色々スライドを見せて頂きました。
こういう地元のお祭りに殆ど知識がなかったので、なかなか興味深かったですよ~。
私は祭りや行事が苦手なんですが、頂いたプリントを見ると、祭りや行事がその性格ごとに纏められてたのがありがたかったです・・・・・来年、再来年の役に立ちそう~(汗)
でも、私の住んでるところも結構田舎だと思ってたのに、こういう伝承がほとんどないのは、
田舎の中では開発が進んだ方なのかしら…・

さ、、ここで来村先生の登場!(笑)
この一年、テレビでしょっちゅうお顔を拝見してたので、なんだかよく知ってる人みたいでした(ニヤリ)
昨年同様、200問ほどのプリントを解答しながら解説を聞くという…・怒涛のような講義(劇汗)
最初のうちは働いていた頭も、100問を超えると完全グロッキー。
聞く方は勿論ゼイゼイ言ってましたが、先生もお疲れになるんでしょうね、時々設問を飛ばしたりされるのがご愛嬌でした~。
先生のプリントをしっかりやってると、結構試験当日は「これ知ってる!」と言うことがあるらしい・・・去年もありました・・・・ソムリエの試験に出たのもあったなあ・・・

最後の方は駆け足でしたが、ようやく講義は終わり!

独楽さんたちとの飲み会のある、市内某所(笑)にかるほさんと急ぎました。
この市内某所は・・・なんだか怪しいところにあって(笑)
メンバーは、独楽さん、ゆずさん、朱雀さん、それから独楽さんつながりで、テツダさんとそのお仲間たちだったんですが、その部屋に入るなり、高校の同級生発見!
しかも、40年ぶりに顔を見たというのに、すっと名前が分かったという・・・最近自分の記憶力に疑問を感じてた私としては、まだまだぼけてないなあ、とたいそう嬉しゅうございました~(笑)
いや~~、奈良は狭いなあ!

例によってでっかい態度で座り込み、言いたいことを言って(いつもの通り)(笑)ワインをせっせと飲んで~美味しいものをパクパク食べて~またもやワインをせっせといただいて~柿を剥いてもらって食べて~テツダさんはじめみなさにお世話をかけて、しかもあと始末もせずに帰ったという…・
ずうずうしい飲み会となりました~。

久しぶりの再会だったので、独楽さんにもっとマレーシアの話を聞いたり、ゆずさんに大学院の話を聞いたり、朱雀さんに宝塚市の長尾山古墳のことを聞いたり、色々したかったんですが、すっかり飲むのに没頭してしまい、あんまりお喋りできませんでした…反省!

次回はいつになるのか、またお目にかかるのが楽しみ!
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by nagiwi | 2010-12-07 02:04 | まほろば検定 | Comments(4)

8月29日、春日大社であったまほろば検定体験学習プログラムの
「春日権現験記が描く中世、人々の息づかい」に行ってきました。

この日のお話は、宮司の花山院弘匡さんによるもの・…ちなみにこの方の名字は、かさのいん、とお読みするようですが、春日大社の宮司さんは勿論藤原氏の出身。
花山院家は、世が世なら、左大臣?太政大臣?にもなれる家柄だそうな。
ひえ~☆

春日大社は、奈良時代に始まり今日まで連綿と続く藤原氏の氏神ですが、奈良時代以前から三笠山のこの辺りは太陽や月の登る場所として、古代信仰の神域であったと思われます。
京都より古い、日本の源流とも言うべきその地に、平城京を守る神社として春日大社が作られたんですね。

平安時代には、藤原氏の氏神として、大層きらびやかな時代を迎えました。
春日祭は葵祭、石清水祭、と並んで勅使祭で、藤原氏が勅使となって神饌を持参したそうです。
また、春日大社には能で用いられる影向の松があったり、結崎座が奉仕していたなど、申楽から能へと発展したその発祥地でもあったそうです。

そして、春日大社の自慢は、その長い伝統が途絶えることなく続いてきたということのようで。
京都では、応仁の乱のせいで150年ぐらいはあらゆるものが灰燼に化してしまったのに対して、奈良では、南都焼打ちに際しても春日大社は無事だった。
おかげで、さまざまな行事などの歴史がきちんと継続してて、宮中とここにしか伝わらない行事もあるんだそうです。

春日権現験記は、その名の通り、春日大社の効験を集成した絵巻物ですが、成立は1309年(鎌倉時代)絵は宮中最高の絵師だった高階隆兼、詞書は前関白鷹司基忠とその子供たちによるもの。
早い話が、その頃最高の絵師と貴族によって描かれたものだったんですね~。
それは、春日大社が、宮中において大きな力をもってた事ですよね。

この絵巻は、春日の神の権威や、信心深い人々を加護する様子が、大変丁寧に、真心をこめて書かれています。
原本は今は宮内庁にあって、春日大社には江戸時代の写しがあるんですが、これがまた見事なもので。
昔は、40歳以下は見てはいけないし、見るときは精進潔斎、水垢離をとってから見たものだそうです…・

この日配られた資料には、第六巻の三話、第二巻の一話、第七巻の四話、第七巻の一話、第一巻の一話、がコピーされてました。
こういう資料って、たいてい白黒で分かりにくいことが多いんですが、今回のコピーは、色鮮やかなカラーがすごく綺麗で、細部までくっきり出てます。
流石に自社の資料ですね!

第六巻の三話は、六道あたり(今の春日荷茶屋の前・・・六つの道が交わるから六道と言うとも、鹿の道のろくどうとも、地獄を意味するろくどうである、とも言われてるそうです)でお経を咥えた蛇を子供がいじめているシーンと、その子供が熱を出して巫女さんと山伏に護法をしてもらってる様子とが描かれてました。
この蛇は春日の神さんによって地獄に落とされたんだけど、お経を飲ませて救ってやろうと思ったのに、子供が邪魔をしたので罰があたった、と言うことらしい。
巫女さんに神のお告げがあって、般若心経を読んだら治ったそうです~。
子供が熱を出して寝てる所が拡大されてましたが、それはもう、細かいところまで、丁寧に丁寧に描かれてて。
例えば、子供の枕もとにはお母さんとお婆さんが看病しており、瓜と思われるものが切っておいてある板が置かれ、壁には厄除けの新旧二枚のお札が貼ってあって、板の間には後ろ向きの猫が心配そうに見てるんですよ。
庶民の暮らしがとてもよくわかります!

第二巻の一話は、1093年の白河上皇の御幸の様子。
おともに宮中の公家17人を引き連れたはるんですが、その中に、花山院宮司家の祖である藤原家忠が描かれてるそうな。
ちなみに宮司さんは33代だそうです…・いま2010年だから、900年以上続いた家系なのね!!
この場面には現在もある着到殿や幣舞殿が描かれてて、ほぼそのままなのが分かります
・・・ただし、この絵の着到殿は今とは場所が違い、この時臨時に作られたものらしい。

第七巻の四話は、三途の川のほとりにたたずむ女性が、でっかい卒塔婆を眺めてる様子が描かれてるんですが、これはこの女房の夢で、その卒塔婆には女人も往生できる、と書いてあるらしい。
罪深い女性も春日の神の力で往生できるというのがこの話のコンセプトですが、卒塔婆の大きさが、春日の神の力の強大さを表してるそうです。

第七巻の一話は、1212年、解任された藤原経通卿が、もとの仕事に戻りたいよ~と、春日大社に参籠したら、何者かが後鳥羽上皇の夢に現れて経通を思い出せ!と言った。
問い合わせてみたら春日大社にこもってたので、復職させてやりました、と言うお話((すごく雑にまとめました)(笑)
この絵には、春日大社の本殿の前で参籠する人々の様子が、表情豊かに克明に描かれてます。
本殿はほぼ現在と同じ作りですが、唐破風だけがありません。

そして、第一巻の一話は、これまた参籠する人が主人公ですが、このお話で参籠するのは橘氏の娘。
937年2月25日、橘氏の娘が参籠してたら、神殿が泰動し神が娘に憑依した!
娘(神)は神官、禰宜、神人、僧を呼び集め、「私はもう、慈悲万行菩薩になってるよ!」と宣言したという…・
春日大明神は救済の神、国家守護の神であるということだそうです。

後ろでは、鹿が三匹御託宣を聞いてました…

以上、5つの場面から分かることは、春日明神が庶民、上皇、女性、貴族、とあらゆる人々の望みをかなえ、救済する神であるということなんですね。

中でも、お春日さんは、女性に優しい神さんとして有名だったそうですよ。
まあ、それって、当然かも。
だって、藤原氏の栄華の根本は、光明皇后。
そして、天皇の外戚としてその栄華は絶えることなく続いてるわけで、外戚って言うのは即ち、娘を天皇の后にするってことで。
女性を大事にしないでどうする!って感じですよね☆

宮司さんは学校の先生だったそうで、お話は分かりやすく、とても面白かったです!

お話のあとで、江戸時代の写本を見せて頂いたんですが(精進潔斎なしで)(笑)それはもう、ほんとに綺麗!
信貴山縁起絵巻よりも色鮮やかで、でも、表情は同じように豊かです☆
私のイメージでは、宮中の絵師が描いたら、源氏物語絵巻みたいに引き目鉤鼻になるのかな~と思ってたのに、この絵巻も、庶民が生き生きと描かれてました!

で、例によって昼食のお粥。
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これ、冷たいお粥なんですよ!
薄茶の緑が綺麗☆

午後からは、宮司さんに従って、絵巻に描かれたのと同じ場所に行きました。
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白河上皇が到着した二の鳥居と車舎・・・・絵巻物では、瓦が二枚落ちてるところまで書いてありましたよ(笑)
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祓戸神社・・・流造ですね。これも、絵巻と同じ所にあります!
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この向こうに藤の絡んだ鳥居(藤鳥居)があるんですが
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藤原氏出身の勅使はこの道を通って本殿に進んだそうです。
身内は勝手口から入る、と言うことらしいんですが、その道を剣先道と呼ぶんですって。
これが剣先道。先が剣のようになってますね!
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現在の着到殿。
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林檎の庭と幣舞殿。
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本殿。
絵巻の時代には唐破風はまだなかったんですね。
この前で参籠したんだ!
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本殿前の二位橋。
位の高い人はこの中に入って参籠したらしい。
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絵巻には幼木として描かれた木が、800年たってこうなりました!
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この日も相変わらずくそ暑い(失礼!)日でしたが、いつもと違う目で春日大社を見て、
意義深い日になりました。

で、どうやって帰ろうかな…と考えながら参道を歩いていたら、「鷺原道」の道案内に誘われて。
鹿園の横を通って飛火野に出ました。
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この道は父に連れられて良く歩いたものでした。
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私にとってはこの木が飛火野のシンボルです。
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この後、浮御堂から浅茅が原に抜け、国立博物館で、法華堂の金剛力士像を見て帰りました。
暑くて疲れましたが、充実した1日でした☆

おまけの情報☆
春日大社では、土曜と日曜、朝6時半から、禰宜さんと一緒に1時間かけてお参りする、と言うイベントがあるそうです。
爽やかな夏の早朝の春日大社を味わってください、とのこと・・・・今はとてもさわやかとは言い難いそうですが(笑)
ほんとは8月までの計画だったそうですが、好評のため、10月まで延長になったらしい。
面白そうですね~☆
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by nagiwi | 2010-08-30 19:57 | まほろば検定 | Comments(4)

土曜日に、「万葉集に詠まれた植物・・初夏」に行ってきました☆

小雨の降る中、去年十二単の講座に来たのと同じ、春日大社の「感謝と共生の館」で
10時半から始まりました。

午前中一時間半、昼食を挟んで午後も一時間半の講義の後、万葉植物園で実物を見ながら話を聞く、という段取り。

万葉集にある4500首の歌のうち、なんと、1500種に植物が読み込まれているそうです!
その万葉植物は全部で160種類に上ってるとか。
万葉の頃の人の暮らしは、自然とともにあったんですね☆

その中で、最も多いのは萩の140首、梅は120首、松80首、橘70首、芦、スガ50首、
そして桜は40首・・・・桜は万葉の頃には農作の時期を知らせるで実用的な植物だったために、
あんまり詠まれなかった。
一方、梅はその頃遣唐使とともに中国からはいってきて、貴族や知識人に尊ばれた、と言うことらしいです。
人間って、新しい物好きなんですね(笑)


このお話の後、スライドを見せながらの講義が始まったんですが、これがものすごいスピードで(汗)
ノートを取るのに必死でした(劇汗)

取りあげられたのは、
繊維植物として古くから利用された麻(カラムシ)
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にはじまって、
あやめぐさ、あじさい、あふち(せんだん)あふい(あおい)
あべたちばな(だいだい)
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うり、かきつばた、かしは(かしわ)きり(あおぎり)たちばな(にほんたちばな)ちさ(えごのき?)
ふと気が付いたらもうお昼。
感謝の言葉を唱えて
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昼食は春日荷茶屋の赤米のおかゆです☆
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午後からは
なつめ
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ねぶ(ねむのき)ひる(のびる)まゆみ、むらさき、やまあい、ゆずりは、あさざ、
はじ(はぜ)うのはな、うまら(のいばら)、
ひさぎ(あかめがしわ)
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ほほがしわ(ほおのき)
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全部で25種類でしょうか。
すごい駆け足の講義を聴いた後は、万葉植物園で実物を見ました。

その中でも印象に残ったのは、
やまあい(万葉時代の藍)
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生の根を搗いて汁を取り、衣を染めたそうで、現在も、大嘗祭にはこの「やまあい」で染めた小忌衣を着るそうです。
これは紫陽花の原種の「七段花」
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そして、これがムラサキ
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「託馬野に 生ふる紫草 衣に染め いまだ着ずして 色に出でにけり」
「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る」

この頃の花は、どれもこれも花とも言えないほど小さくて、地味で。
この小さな花に美しさを見出した日本人って…結構すごいかも。

この中のいくつかは、もう絶滅危惧種になっているそうですが、例えば、やまあいが失われると大嘗祭の小忌衣を染めることができなくなる、すなわち、一つの文化が失われる、と言うことになる…

一見雑草にしか見えない植物の持ってる意味を考えさせられた一日でした☆
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by nagiwi | 2010-06-29 01:21 | まほろば検定 | Comments(4)