考古学特殊講義☆
前学長で、現名誉教授の水野正好先生の担当です~♪
先生のお話は、何度か聞いたことがありますが、
ますますお若くお元気でエネルギッシュ、楽しい水野節を満喫してきました。
午前中は教室での講義、テーマは「古都奈良の文化財と親しむひととき」
平城宮跡は、江戸期にはそのありかが分からなくなっていたんですね。
で、そこを研究し、一輪車を使った測量で割り出し平城京の地図を作成したのが、
江戸末期の奈良在野の学者、北浦定政でした。
彼の死によって絶えていた研究を、
関野貞が、明治になって見出し、平城京の復元に力を注いぎ、
今日の研究の基盤を作ったんですね。
平城京は朱雀大路を中心に、秋篠川と佐保川をその中に取り込み、
その水運を利用して市を運営するなど、美しく区画され、栄えた都だった。
そして、地方との活発な物のやり取りが、沢山出土する木簡から伺われ、
その時代の人々の息吹を知らしてくれる・・・
先生のお話を聞いていると、なんだか奈良時代がついそこにあるような、
そんな気持ちにさせられます。
そのほか、その時代のお産の様子や、極楽往生の誕生、平城京内のお寺の話など、
引き込まれて聞いているとあっという間に時間がたって、お昼になっていました。
午後からはバスで唐招提寺に向いました。
唐招提寺は
今金堂の
修復工事中。
あの美しい屋根が
見えません。
先生いわく、
この状態の唐招提寺が見られるのは
今だけ・・・
言われてみれば
そうだけど(笑)。
これが今しか見られない(!)
覆屋です。
ここで鑑真和上が戒を授けた・・・
左の写真は鐘楼です。
素朴でスマートな鐘ですね。
後ろに写っているのは、講堂(国宝)。
下賜された平城京の朝集殿を
入母屋づくりにしてあるそうです。
中には、
弥勒如来坐像や
四天王像がありました。
鼓楼(国宝)
そもそもは
太鼓を置くところとして作られましたが、
後に仏舎利や経典を収蔵された。
きれいな建物です。
校倉造の経蔵
これも国宝です。
外壁は三角形の木材ですが、
内壁は平にカットされているそうな。
よく見ると、
鼠返しが付いています。
この経蔵の隣には、
一回り大きな校倉造の宝蔵があって、
こちらも国宝。
唐招提寺には、
国宝に指定されている建造物が5つ
仏像が同じく5つあります。
唐招提寺は今も戒律の厳しいお寺で、観光化とは一定の距離を置いています。
だからでしょうか、ほんとに変わらない。
境内は静かな美しさに満ちていて、
苔に差し込む日の光の清らかさに、心洗われる思いがしました。
次に向かったのは西大寺。
私、この辺りに週にニ、三度出没するんですが、西大寺にちゃんと入るのは何年ぶりかなあ・・・
大茶盛に来て以来だから・・・ん?二十年ぶりぐらい?
東大寺と並び称される見事な堂宇が立ち並んでいたそうです。
当時の建物は殆ど残っていなくて、これは東塔の基壇。
この下には、地中4層、地上4層に折り重なって財宝が埋められているらしい・・・
そもそもは八角塔が立つ予定だったそうで、その痕跡が基壇にも礎石にも見られるそうです。
3メートル以上はあるでしょう、とてつもなく大きくて、しかも無銘。
これは骨堂(こつんどう、と呼ばれるそうです)
荼毘に付した遺骨を卒塔婆に付けて打ち付けるという平安頃の風俗を残したもの。現存する骨堂はこれ一つ、いずれは重要文化財になるんだそうです。
正直なところ、西大寺って、新しい建物ばかりで、
あんまり興味がなかったんですが、
東塔の基盤に登り、冷たい風に吹かれながら
先生のお話を聞いてると、
認識不足だったなあ、と。
知らずに見るのと、知識を持ってみるのとでは、
まるで違う感動がある、とまたまた再認識。
スクーリングのために、華やかな薬師寺ではなく、唐招提寺や西大寺を選ばれたことに、
思いを新たにしながら、冷えた体と共に帰途に着きました。
明日は奈良で集合です。
何故でしょう?
ただのお寺の観光案内だけではないから、なのでしょうねぇ。
唐招提寺は中学の修学旅行以来ですし、西大寺には行ったことがありません。
なぎさんのブログにお邪魔すると、奈良に行こう!と思わされます。
画像も綺麗に撮られてますねぇ。
こうやって説明されなければ知らないことばかりです。それにしても奈良ってすごいところですね~
称徳天皇というと、いろいろお噂があった女帝ですね。いろいろ問題があったので、それ以降女帝は立てないことにしたという……
埋まっているというお宝を探さないのかしら?(笑)
過分なお褒めの言葉、有難うございます☆
スクーリングであちこち行くたび、よ~く知ってる、と思ってた場所を、実は何にも知らなかったんだ、と気付かされています。
知識って、すごいですね!
是非、奈良へおいでください、ご案内させていただきたいです!
marieさん
西大寺には、遺構だけじゃなくて、写真に写ってない幾つかのお堂があるのよ(笑)。ただ、そういうのってみんな新しくて、今回はパスです。
奈良時代は女帝が多いですよね。元明、元正、も女帝でしたし、称徳天皇って孝謙天皇の重祚語のお名前だし。
水野先生は、通学生さんたちに、「基壇の周りでお宝を見つけたら単位をあげる!」とけしかけられたそうです(笑)。そのせいで、以前は自由に登れてたt基壇に柵ができ、普段は上れなくなってしまっったんだって~(笑)。ん~~、まゆつば~(爆)