さあ、フィレンツエとローマへ!四日目はローマで遺跡巡りだ!
ホテルはテルミニ駅すぐ近くの、ホテル・ジェノヴァです。
この日は、私が今回の旅行で最も期待していたティボリのヴィッラ・デステと「ヴィッラ・アドリアーナ」へ行くのです!
が、ここはローマ市内から60キロ以上もあって、バスの便も悪く、自力は無理・・・・一度は諦めかけたんですが、アーモ・イタリアにお願いして、連れて行っていただくことができました!
ホテルについて荷物をフロントに預けもう一度道に出て見ると、
そこにはちゃんとアーモイタリアのイタリア人スタッフのロベルトさんの車が待っててくださいました☆
車は市内を抜けて一路ティボリへ向かいます。
このティボリと言うところは、ローマの別荘地としてローマ帝国時代から栄えた所だそうで。
ローマ時代2世紀ごろのハドリアヌス帝の別荘遺跡が「ヴィッラ・アドリアーナ」
16世紀ごろのローマ法王イッポリト2世(ルクレチア・ボルジアの息子です!)の別荘が「ヴィッラ・デステ」で、どちらも世界遺産に登録されてます。
最初にヴィッラ・デステへ。
広大な敷地の庭園内には、大小さまざまな噴水が数百もあって、ルネッサンスの噴水庭園として有名です。
この建物の中にパイプオルガンが作られていて、水圧で音楽を奏でます!
一日に数回デモンストレーションで音楽が流れるんですが、16世紀にこんな仕組みを考えたなんて、すごいですね!
別荘を修理していたら、その地下からローマ時代の遺跡が見つかったらしくて。
ロベルトに聞いてみたら、この辺りはローマより暖かだそうで、それもあって別荘地として栄えたんだろうとのことでした☆
見事な庭園を堪能して、近くのお惣菜屋さんでカンタンにお昼を済ませ、次は、さあ、ハドリアヌス帝の遺跡だ!!
ハドリアヌス帝は14代ローマ皇帝。
帝国各地をすべて視察して帝国の現状把握に努めた、偉大な皇帝だそうです。
彼の前のトラヤヌス帝の時、ローマ帝国は最大の大きさになったそうですが、ハドリアヌス帝は拡大路線をやめいていくつかの領土を放棄し、国境安定化路線に転じました。
イギリスに「ハドリアヌスの長城」を作った人で、有名な漫画「テルマエ・ロマエ」に出てくる皇帝なんです~。
帝国じゅうを旅した彼は、ここに各地の風景を写して別荘を作ったとか。
2000年前ですよ~すごいわ~~~みたいわ~~
I LOVE RUIN!
気の毒なことに、友人は遺跡にあまり興味がないので、ここでは別行動。
待ち合わせ時間だけを決めて、思う存分歩きまわりましたわ。
いや~~ときめくわ☆
今分かっているだけでも大小二つの浴場跡があります。
遺跡から想像するだけでも、その壮大さに心が奪われます・・・・なんて美しい別荘だったんでしょう・・・
最愛の少年を失って、晩年は心を病んでいたとも言われる皇帝は、ここでその傷をいやしたのでしょうか…・
時間いっぱいまで遺跡を歩きまわりました・・・・・実を言うと、もっとここにいたかったなあ・・・・・
と思いながら車に帰ると、友人が運転手のロベルトさんに、
「彼女は遺跡を愛してるので、もうちょっと待っててやってね」と言ってるところでした(笑)
ありがとう(笑)
ローマ市内に戻るとロベルトさんが、
「アイスクリーム、食べる?」
と聞いてくれたので「もちろん!!」と叫んで連れて行ってもらいました。
その後ホテルに送り届けてもらって、チェックイン。
夕食はホテルの前でほんとに軽く食べて(だって、アイスクリームでお腹が一杯だったので)お風呂に入り、ベッドに横になるやいなや友人は眠ってた(笑)
日ごろあまり歩かない彼女には、この日は相当会強行軍だったようですが、
私にとっては、ほんとにすばらしい一日になりました!
私のお水取り強行軍なんてなんのそのだわさ。
あっちへ行っても遺跡は見るし、どこでも食べまくっているし。
あ、クリスマスローズは私も法華寺で見てきたよ(←張り合うな)
春本番になったらまたどこぞを歩こうね!
こんなのが見たかったんです!
何千年前の皇帝の別荘の跡がそのままの残っているんですね。往時はどんなに豪華な建物や庭園があり、映画のようなシーンが繰り広げられていたことでしょう~(うっとり)
「氷と炎の歌」で、ティリオンが今は滅びてしまった古都を旅する美しい場面があるのですが、きっとこんな感じだったのかなあ……
ルクレツィア・ボルジアの息子って教皇だったんですか??
誰の子かしら??
長らく放置して申し訳ありません!
孫たちがアメリカから帰国して忙殺されてたの~~。
久しくパソコンを立ち上げてなかったので、使い方を忘れた気がするわ(笑)
私って、素敵?不敵?(笑)
あら、ありがと☆
年取ると女は無敵になるのだ、どっはっは(笑)
お返事ができなくて申し訳ありませんでした!!
この教皇は、確かルクレツイア・ボルジアと、フェラーラ公アルフォンソ・デステとの三度目の結婚(?)で出来たんだと思います・・・・ボルジア家が衰退した後も、彼女はしっかり生き延びてたんですね!
女は強し、だわ☆