2012年 11月 15日
秋はお勉強の季節?(笑)
11月に入ってすっかり秋らしくなり、夏の間眠っていた私の向学心も少し目覚めたようで(笑)
3日、4日、5日と、少しばかりお勉強にいそしんで来ました(笑)
まず、3日は橿考研の公開講演会「古事記の新たな世界」。
この日は3つの講演があって、会場は1000人入るという郡山城ホールです。
最初は前園実知雄先生の講演で「『古事記』」編者太安万侶墓の発掘からわかること」。
太安万侶の墓誌が発見されてから今年で33年がたちますが、最近、この墓誌に墨書の痕跡があったことが話題となりましたね。
この発掘に関わられた前園先生のお話はとても興味深かったですが、なかでも、土地の公有化によって古墳時代が終焉し、都の北方、東方に公葬地が設定されて皇族や官人が葬られたというお話は面白かったです☆
確かに、生駒山近辺には行基墓、美努岡萬呂墓、都の東方の大和高原では太安万侶墓、小治田安萬呂墓、光仁天皇、志貴皇子も葬られていまし、平城京北方には元明、元正天皇、聖武天皇、光明皇后、那富山墓もありますね・・・
休憩をはさんで次は、今尾文昭先生の「考古学から見た古事記の世界」-「舒明」期再見。
これまで、さしたる事績を残さなかったといわれている舒明天皇ですが、実は、推古期と舒明期を比べるとそこには大きな差があって。
桜井市吉備池で発掘された大寺院の跡が、舒明天皇が作らせた百済大寺とみられているのですが。
このお寺は歴然とした方位性を持っていて、推古以前は方位性を持たなかったと飛鳥岡本宮などとは明らかに違っている。
このように、舒明期以降は方位性のある寺や宮が造営されたし、王陵は方墳から八角墳となっていきました。
つまり、古事記に言うところの「上古の時」は推古以前、「今の時」が舒明期以降を差し、それ以降舒明天皇に連なる王統が正統となった新たな時代が到来したということでした。
最後は千田稔先生の「天武天皇と『古事記』ー天武天皇の世界観と史書」
古事記と日本書紀の記述に色々と違いがあるのはよく知られていることですが、古事記には天武天皇を中心とする飛鳥朝の影響が大きく、日本書紀は奈良朝の(藤原氏の?)意図による歴史書で。
古事記においては、天孫降臨神話が天武天皇とかかわりの深い海神宮神話へと転換されるなど、天武天皇の石が色濃く反映されています。
しかし、日本書紀には古事記で重用された神が表れないことや、国生み神話における淡路島の扱いの差などに、古事記と日本書紀を書かせた人の意志の差が如実に表れている・・・と言うようなお話でした。
ただ、千田先生、時間配分を少し間違えられたようで、ど~っと走ったところと短~くはしょられたところが混在しておりました(汗)
千人入るホールがほぼ満員だったし、一時から四時過ぎまでの長い講演会だったのですが、一度も眠くならなくて(笑)、なかなか面白いかったです!
しかし、一番面白かったのは、最初の講演が終わった時、目の前に立っておられた朱雀さんを発見したことでした・・・・ほんとに意外なところでよくお会いしますね☆
さて、翌日4日は、近鉄奈良駅前の商工会館で行われた、まほろばソムリエ支援セミナー。
午前中は高橋先生、午後からは来村先生がみっちりお話してくださいました。
高橋先生は、「地形図大和の歴史を読む」がテーマで、例年通り数枚の地図を配られましたが、今年は、奈良市、高田市、桜井市~天理市、大和郡山、吉野、でしたね。
来村先生は今年、試験対策参考資料と言うレジメを作ってくださいました!
内容は、「主な川とダム」とか、「天然記念物」とか、「史跡」とか、「陵墓」とか、「歴史人物」とか、「各種遺産」などがびっしりとまとめられていました。
濃い~~~内容で、もしかしたらラッキーかも?!?
ただ、この日、会場はびっしりと満員で・・・どうも風邪をひいたような気が…・
5日は正倉院展へ。
某旅行会社のやってる奈良博の西山先生の講演会があったので、それに参加してお話を聞いてから行きました。
西山先生によると、日本中の博物館員の中で梱包が一番上手なのは奈良博の館員だそうで。
それは、正倉院御物と言うたいそう梱包しにくいものを毎年梱包しているからだとか・・・なるほど、確かにそうですよね!
奈良時代の絹織物なんて、触っただけで崩れるそうですもの・・・・・
その他にも、「紫檀金銀絵書几」は書見台らしいがどうも使いにくそうだな~と思っていたら、古い中国の絵の中に同じようなものを発見した、とか、今は使われていない楽器(笙?や金属板?)も、同じく古い中国の絵の中に出てくる、とか、「紫檀小架」はどうしても使い方が分からない、とか面白いお話が満載でした☆
他にも、日本産の鉛ガラスはとっても重い、とか、大仏開眼をした菩提遷那の署名のある文書が出てる、とか・・・・・そうそう、今年の目玉である「瑠璃杯」は照明にとっても苦労されたとか。
そう言うお話を聞いて奈良博に着いたのは2時半ごろ?
なんとまあ、行列がなかったんです!!
まあ、行列のない正倉院展なんて、何年ぶりかしら(涙)
いそいそと中に入ってみたら、やっぱりそこそこの人出で、瑠璃杯の周りには例の(笑)グルグル巻きが20分待ちで出来てましたが、実際にはあっという間に最前列まで行けたし、とっても見やすかったです~♪
瑠璃杯のほかにも、クチナシ型、とんぼ玉、ねじり玉などのガラス玉が多数出ていましたし、その他にも、材料のガラス板、黄色と碧の小尺などガラス製品が沢山ありましたが、今回私が一番気に入ったのは、青いガラスの露玉。
3センチほどの洋梨のような形の露玉は、日本産の鉛ガラス。
1300年の時をその中に閉じ込めたように、美しかったです☆
他にも、先生のお話に出ていた、楽器類や書几、小架、菩提遷那の署名のある書類、をしっかり見たのは言うまでもありません♪
お話を聞いた後でゆっくり拝見すると理解が深まるようで、面白かったです☆
奈良博の敷地に有るお茶室「八窓庵」。
一本だけ紅葉していました。
3日、4日、5日と、少しばかりお勉強にいそしんで来ました(笑)
まず、3日は橿考研の公開講演会「古事記の新たな世界」。
この日は3つの講演があって、会場は1000人入るという郡山城ホールです。
最初は前園実知雄先生の講演で「『古事記』」編者太安万侶墓の発掘からわかること」。
太安万侶の墓誌が発見されてから今年で33年がたちますが、最近、この墓誌に墨書の痕跡があったことが話題となりましたね。
この発掘に関わられた前園先生のお話はとても興味深かったですが、なかでも、土地の公有化によって古墳時代が終焉し、都の北方、東方に公葬地が設定されて皇族や官人が葬られたというお話は面白かったです☆
確かに、生駒山近辺には行基墓、美努岡萬呂墓、都の東方の大和高原では太安万侶墓、小治田安萬呂墓、光仁天皇、志貴皇子も葬られていまし、平城京北方には元明、元正天皇、聖武天皇、光明皇后、那富山墓もありますね・・・
休憩をはさんで次は、今尾文昭先生の「考古学から見た古事記の世界」-「舒明」期再見。
これまで、さしたる事績を残さなかったといわれている舒明天皇ですが、実は、推古期と舒明期を比べるとそこには大きな差があって。
桜井市吉備池で発掘された大寺院の跡が、舒明天皇が作らせた百済大寺とみられているのですが。
このお寺は歴然とした方位性を持っていて、推古以前は方位性を持たなかったと飛鳥岡本宮などとは明らかに違っている。
このように、舒明期以降は方位性のある寺や宮が造営されたし、王陵は方墳から八角墳となっていきました。
つまり、古事記に言うところの「上古の時」は推古以前、「今の時」が舒明期以降を差し、それ以降舒明天皇に連なる王統が正統となった新たな時代が到来したということでした。
最後は千田稔先生の「天武天皇と『古事記』ー天武天皇の世界観と史書」
古事記と日本書紀の記述に色々と違いがあるのはよく知られていることですが、古事記には天武天皇を中心とする飛鳥朝の影響が大きく、日本書紀は奈良朝の(藤原氏の?)意図による歴史書で。
古事記においては、天孫降臨神話が天武天皇とかかわりの深い海神宮神話へと転換されるなど、天武天皇の石が色濃く反映されています。
しかし、日本書紀には古事記で重用された神が表れないことや、国生み神話における淡路島の扱いの差などに、古事記と日本書紀を書かせた人の意志の差が如実に表れている・・・と言うようなお話でした。
ただ、千田先生、時間配分を少し間違えられたようで、ど~っと走ったところと短~くはしょられたところが混在しておりました(汗)
千人入るホールがほぼ満員だったし、一時から四時過ぎまでの長い講演会だったのですが、一度も眠くならなくて(笑)、なかなか面白いかったです!
しかし、一番面白かったのは、最初の講演が終わった時、目の前に立っておられた朱雀さんを発見したことでした・・・・ほんとに意外なところでよくお会いしますね☆
さて、翌日4日は、近鉄奈良駅前の商工会館で行われた、まほろばソムリエ支援セミナー。
午前中は高橋先生、午後からは来村先生がみっちりお話してくださいました。
高橋先生は、「地形図大和の歴史を読む」がテーマで、例年通り数枚の地図を配られましたが、今年は、奈良市、高田市、桜井市~天理市、大和郡山、吉野、でしたね。
来村先生は今年、試験対策参考資料と言うレジメを作ってくださいました!
内容は、「主な川とダム」とか、「天然記念物」とか、「史跡」とか、「陵墓」とか、「歴史人物」とか、「各種遺産」などがびっしりとまとめられていました。
濃い~~~内容で、もしかしたらラッキーかも?!?
ただ、この日、会場はびっしりと満員で・・・どうも風邪をひいたような気が…・
5日は正倉院展へ。
某旅行会社のやってる奈良博の西山先生の講演会があったので、それに参加してお話を聞いてから行きました。
西山先生によると、日本中の博物館員の中で梱包が一番上手なのは奈良博の館員だそうで。
それは、正倉院御物と言うたいそう梱包しにくいものを毎年梱包しているからだとか・・・なるほど、確かにそうですよね!
奈良時代の絹織物なんて、触っただけで崩れるそうですもの・・・・・
その他にも、「紫檀金銀絵書几」は書見台らしいがどうも使いにくそうだな~と思っていたら、古い中国の絵の中に同じようなものを発見した、とか、今は使われていない楽器(笙?や金属板?)も、同じく古い中国の絵の中に出てくる、とか、「紫檀小架」はどうしても使い方が分からない、とか面白いお話が満載でした☆
他にも、日本産の鉛ガラスはとっても重い、とか、大仏開眼をした菩提遷那の署名のある文書が出てる、とか・・・・・そうそう、今年の目玉である「瑠璃杯」は照明にとっても苦労されたとか。
そう言うお話を聞いて奈良博に着いたのは2時半ごろ?
なんとまあ、行列がなかったんです!!
まあ、行列のない正倉院展なんて、何年ぶりかしら(涙)
いそいそと中に入ってみたら、やっぱりそこそこの人出で、瑠璃杯の周りには例の(笑)グルグル巻きが20分待ちで出来てましたが、実際にはあっという間に最前列まで行けたし、とっても見やすかったです~♪
瑠璃杯のほかにも、クチナシ型、とんぼ玉、ねじり玉などのガラス玉が多数出ていましたし、その他にも、材料のガラス板、黄色と碧の小尺などガラス製品が沢山ありましたが、今回私が一番気に入ったのは、青いガラスの露玉。
3センチほどの洋梨のような形の露玉は、日本産の鉛ガラス。
1300年の時をその中に閉じ込めたように、美しかったです☆
他にも、先生のお話に出ていた、楽器類や書几、小架、菩提遷那の署名のある書類、をしっかり見たのは言うまでもありません♪
お話を聞いた後でゆっくり拝見すると理解が深まるようで、面白かったです☆
奈良博の敷地に有るお茶室「八窓庵」。
一本だけ紅葉していました。
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marie004
at 2012-11-18 09:56
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なかなか難しそうなお話ですのに、千人も入るホールが満員とは、さすがですねえ~
舒明天皇はたしか天智・天武のお父さんでしたっけ? それくらいしか記憶にないのですが、なるほど、そこから正統な王朝なんですね。
こちらには正倉院展を見に行くツアーがあるんですよ。毎年気軽にごらんになれてうらやましいです。
舒明天皇はたしか天智・天武のお父さんでしたっけ? それくらいしか記憶にないのですが、なるほど、そこから正統な王朝なんですね。
こちらには正倉院展を見に行くツアーがあるんですよ。毎年気軽にごらんになれてうらやましいです。
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おお、おべんきょ進んでますね☆
奈良検定は奈良市、高田市、桜井市~天理市、大和郡山、吉野かあ…。
ムフフな膨らむ妄想の数々。
今年はお駄賃たくさんだったようで、お徳でしたわね。
わたしも妄想するから燃料よろしくね(謎)
奈良検定は奈良市、高田市、桜井市~天理市、大和郡山、吉野かあ…。
ムフフな膨らむ妄想の数々。
今年はお駄賃たくさんだったようで、お徳でしたわね。
わたしも妄想するから燃料よろしくね(謎)
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nagiwi at 2012-11-22 00:41
Marieさん
お返事が遅くなって申しわけありません!
舒明天皇は天智天武のお父さんですが、あんまりメジャーじゃないっていうか、地味って云うか(笑)
今年の正倉院展はそれほど混雑してなかったのか、私の日頃の行いが良くて比較的すいてる時間に行けたのか、ゆっくり見られて良かったです☆
お返事が遅くなって申しわけありません!
舒明天皇は天智天武のお父さんですが、あんまりメジャーじゃないっていうか、地味って云うか(笑)
今年の正倉院展はそれほど混雑してなかったのか、私の日頃の行いが良くて比較的すいてる時間に行けたのか、ゆっくり見られて良かったです☆
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nagiwi at 2012-11-22 00:43
by nagiwi
| 2012-11-15 02:22
| まほろば検定
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Comments(4)