宇陀をうだうだ・・・・って、またもやかるほさんのパクリです(笑)
天気予報では曇りのはずだったのに、起きてみたら、空は青空お日様さんさん(汗)
それでも、久しぶりのうだうだ歩きに心はうきうき、
午前8時に、待ち合わせの榛原駅で落ちあいました☆
例によって例のごとく、ルートも時間配分も、かるほさんとひろこさんにお任せ、
私はひたすらついて行くだけです~♪
うだうだ歩き、とは言うものの、この辺りはバスの便が悪いし、行きたい所はみんな山の上、って感じだし・・・・・と言う訳で、午前中はタクシー利用、午後から歩こう、と言うことになりました。
そして、この日の運転手さんが、それはまあいい人で、おかげでほんとに良い一日になりましたわ~ん♪
かるほさんがチョイスしてくれたタクシールートは
榛原駅~墨坂神社~八咫烏神社~宇太水分神社~桜実神社~大蔵寺~大宇陀BS
で、行けたら青蓮寺も行きたいな~でも、遠いし無理っぽくない?って感じでしたが、
運転手さんはにこにこと「行けるよ~」「時間超過してもかまわないし」☆
わあ、良い人やわ~♪
墨坂神社は、榛原駅からすぐそば。
その時赤色の楯矛が祭られたそうで、宝物殿にありました(モチロン新しかったですよ)
境内には大きな高野槇もあり、穏やかなたたずまいでした。
ここから八咫烏神社に向かうんですが、運転手さんが「高井の千本杉って知ってる?」
知りません~、見たいわ~とお願いして、連れて行っていただきました☆
わざわざ、狭い狭い、急な上り坂の、昼なお暗い、風情のある伊勢街道を通って行くと
ありました!
杉の持つ強いパワーを感じました☆
ここに行くのに伊勢街道を通らなくても、広くて開けた道があったのに、この運転手さんは、わざわざ私たち好みの伊勢街道を走ってくださって。
うっそうとした伊勢街道から見ると、千本杉の魅力も一層引き立ち、すごくいい感じ~。
さて、次は八咫烏神社に行くはずだったんですが、運転手さんが、「文祢麻呂の墓に行く?」
行きます、行きます、行きたいわ!!!
地図を見る限り、文祢麻呂の墓はすんごい山の中風だったので諦めてたんですが、行けるものなら行きたいわ☆
文祢麻呂は大海人皇子の舎人でしたが、壬申の乱で大海人皇子に従って活躍した、と日本書紀にあります。
江戸時代に榛原の地で墓碑と火葬にされた骨の納められたガラスの壺が発掘されました。
墓碑には
壬申年将軍左衛士府督正四位上文祢麻
呂忌寸慶雲四年歳次丁未九月廿一日卒
とありました。
最後は将軍になったんですね。
昭和50年代に再調査が行われ、墓碑のあったそばでお墓の跡も見つかったそうです。
文祢麻呂は、黒岩重吾作「天の川の太陽」の中にも登場していて。
明日香から宮滝にのがれた大海人皇子のため、吉野あたりの豪族を味方につけようと働いた祢麻呂が、地元の娘と恋に落ち、死んだあとも思い出の地に葬ってほしいと望んだのだ、と言う短いエピソードが描かれています。
私は20代の初めにこの小説を読んだのですが、このエピソードが心に残って、いつかは行ってみたいものだと思っていました☆
その願いが思いもかけずかなって、ほんとに満足でしたわ~~!!
(このエピソードを確認しようと、本箱の中から「天の川の太陽」を引っ張り出して埃を払って読んだら、やっぱり面白かったです☆ただ、その活字の小ささにビックリ!こんなに小さい文字だったなんて・・・老眼鏡の度をもっと強くしないと苦しいかも???)
これがお墓☆
すごい山の中でしたよ~。
そばには、祢麻呂の息子馬養の歌碑がありました。
さを鹿の 来立ち鳴く野の 秋萩は 露霜負ひて 散りにしものを
八咫烏神社神社にむかう途中に高山右近の碑がありました。
高山右近はこの近くの沢城で洗礼を受けたそうです。
で、次は、これ~♪
神武天皇が日向から大和へ東遷する折、熊野の山中で難儀した一行を道案内した「八咫烏」が祭神ですが、八咫烏がサッカー日本代表のシンボルマークになってからは、サッカーの守り神?
日本代表をよろしくお願いします☆
この日の空はますます青く、太陽がきらめいてましたが、風はさわやか。
歩くとずいぶんあるでしょうけど、タクシーは快適です。
15分もたたずに宇陀水分神社に到着。
宇陀水分神社は、崇神天皇の勅祭。
古くから水のまもり神として信仰を集めてきましたが、今も地元の厚い信仰に支えられているのか、
新しく建てられた休憩所も太く見事な木をふんだんに使った見事なものでした。
鎌倉時代建造の本殿は一間社隅木入れ春日造。
三殿が等間隔に横一線に並んでいます。
もう一つ、春日神社もありましたが、春日神社の後ろの崖には藤の花が咲くそうです・・・御縁ですね、きっと。
なんだか申し訳ないほど、心行くまでゆっくりと見せて頂きました♪
ここから、中将姫ゆかりのひばり山青蓮寺へ・・・・これがまあ、山の中!
崖のような急な坂を上って行くと、優しげな風情のこじんまりとしたお寺が。
本堂の障子がしまっているので、運転手さんが庵主さんに声をかけて下さったら
「どうぞ開けて上がってください」
??!!??
右大臣の息女だった中将姫が14才の時、継母によってこの山に配流されたが、武士嘉藤太に助けられここに草庵を結んだのが起こりのこのお寺、優しい心は今も連綿と伝わってるのかな…・などと思いつつ、お言葉に甘えて上がらせていただき、ゆっくり拝観させて頂きました。
・・・・・・嘉藤太夫妻のお墓や鐘付堂のあるこのお寺、携帯電話が圏外で(汗)ってことは、もしここまで歩いて来て、へたばっても、タクシーは呼べないのね(劇汗)
や、やっぱり、最初からタクシーで来て良かったわ…・
次は、桜実神社ですが、ここへ行くのが、これまた、急な坂道。
しかも、ほんとにギリギリまでタクシーが入ってくださって、有難かったわ~。
この日は、地域のお掃除の日だったそうですが、境内が美しく掃き清められてるのは、そのせいだけではない、地域の人の心のよりどころなんでしょうね。
午前中最後の目的地は大蔵寺だったんですが、運転手さんが「片岡家住宅って知ってる?」
知りません!
なんでも、築340年の重要文化財の住宅で、今も住んでおられ、お願いしたら見せて頂けるとか。
見たいけど…大丈夫かなあ?
古い立派な石垣のお宅の門は閉められてましたが、運転手さんがインターホンで見学を頼んでくださったら、快く開けていただけました!・・・予約も何もしてないし、しかも、11時半と言う昼ご飯どきなのに…・普通なら、嫌な顔をされても仕方ないのに、ご当主が出てきてくださって、あちこち見せて頂きました☆
いかにも豪壮なたたずまい…
庭の隅には樹齢800年と言うケヤキの木があり、そこからの風は涼やかで心地よかったわ~。
340年間、一つの家族が住み続けた家が今もあるって、日本でも珍しいそうです…・当然でしょうね!
宇陀はカザグルマの自生地で有名ですが、最近は、クレマチスとの交配が進んで、純粋種は減ってきてるとか。
これは間違いなしのカザグルマで、今年は100以上咲いたそうです。
見事なお屋敷と、ご当主の暖かなお人柄に感動しつつ最後の大蔵寺に向かいましたが…・そこで・・・・こんなものが参道に。
ここ大蔵寺は、白州正子が大和の隠れ里として愛した所で、岡倉天心が寄進した弁事堂でも有名ですが…・重要文化財の本堂や大師堂のある境内も良い感じですが…・歩いて登るのはちっとも構いませんが・・・・あの張り紙は興ざめでした…・
戻ってくると、運転手さんがとっても気の毒がってくださって、それがまたお気の毒でした。
これで午前中の予定は全部、って言うか、予定よりもっともっと沢山の所に連れて行っていただいて、時間も超過したのに気にしないで良いよと言っていただいて。
ほんとに気持ちの良い運転手さんにめぐり会って。
それに、どこに行っても、どのお寺も神社も、きれにはき清められ、美しく整備されてて。
宇陀の土地柄か、運転手さん、宇陀水分神社の宮司さん、青蓮寺の庵主さん、片岡家のご当主様、出会った皆さんが、どなたも(一人を除いて)それはもう親切で。
と、繰り返し、繰り返し話しながら、宇陀の道の駅でお昼ご飯を食べました。
午後からは、歩きが始まりますが、それはまた後ほど・・・・
行きそびれるとうらやましさが募りまあす。タクシーで回る盛りだくさんの宇陀・・。3人だからタクシー半日でもそれほど負担は少ない・・かな?4時間ぐらいの乗車なら2万円ですんだ?
私全くこれと同じコースを秋になったら回りたいです。
一人だと財布にいたいけどね~~~。
御一緒できたら楽しかったのに~~!!
4時間で小型なので、18400円、一人当たり6000円ほどだったと思います。4人だったら4500円ですね…宇陀は、バスの便は少ないし、宇陀水分神社以外はバス停から30分以上歩くところばかりだったので、タクシーの価値が高いです☆独楽さんも一緒だったら、午後からもタクシーになったかも~(笑)
大蔵寺はあんまりお勧めしませんが(笑)流石かるほさん、とってもいいコースでしたよ!
桜巡りとか、巨木巡りとか、地蔵を拝むツアー(謎)とか。
今まで自分の中で空白地帯だった「奥」もいけたし、
今回は非常に満足度高かった。
次回は「きみごろも」も買いたいわ(笑)あ、あの閉まっていたケーキ屋さんも。
※全部食い物の後悔かい(笑)
文祢麻呂のお墓に行けたのが私的にはポイント高い!!
片岡家住宅も値打ちあったし、ひばり山まで行けるなんて、ほんとに大満足でしたね。
ほんと、運転手さんのおかげだわ~~ん♪
次回は4時までにお店に入って、きみごろもも買おう!?
宇陀はタクシーに限るわよね☆