越塚御門古墳の現地説明会に行ってきました☆
ここはそもそもは、牽牛子塚古墳の範囲を確定するための調査で、日本書紀の内容と一致する石槨が発見されて、大ニュースになったんですよね(9月ごろ)。
この調査で牽牛子塚古は八角墳であることがわかって天皇のものである可能性が高まったのと、斉明天皇と間人皇女が一緒に埋葬されてるという日本書紀の内容から、斉明天皇陵説が、がぜん有力になりました。
で、今回の調査では、発掘で現れた新しい古墳の状況が、同じく日本書紀の大田皇女の埋葬に関する記述とほぼ同じなため、テレビでも大々的に取り上げられました。
大田皇女は、天智天皇の皇女で鸕野讚良皇女(のちの持統天皇)の姉、妹ともに天武天皇の妃となり、大津皇子と大伯皇女を生んだんですが、若くして亡くなったんですね~。
この人が元気で長生きしたら、大津皇子が皇太子になったかもしれないし。
なんだか、幸うすいかわいそうな皇女です。
で、私が行ったのは12日の日曜日。
11日のニュースですごい混雑ぶりが伝えられてたのである程度覚悟はしてたんですが、やっぱり凄かった~。
1時頃に現地に着いたらずら~~っと人の列。
最後尾に並んで案内の方と喋ってたら、昨日はここから二時間待ちだったと・・・
お天気が良くて日中は暖かだったんでよかったので、最初の内は良かったんですが、日陰に入ると風が冷たいよ~。
これで半分ぐらいまで進んだところ(汗)
幸い、一時間ほど並んだだけで見学することができました。
これは、牽牛子塚古墳の石郭入口
これが本日のメイン、越塚御門古墳の刳貫式横口式石槨の上部
貝吹山(明日香村にあるらしい)で採れた石英閃緑岩でできてるそうです。
天井部はドーム状。
初冬の明日香村…
斉明天皇も間人皇女も大田皇女も、ここに眠ってるんでしょうか…
明日香村のこの辺りは、終末期古墳が沢山あります。
時計を見たらもう3時半ごろでしたが、日が陰ってきてて少し冷えてきたので
近くの岩屋古墳にだけ寄って帰りました。
今回は出会いが無かったですね。朱雀も13時半頃から並んで、見学を終わって飛鳥駅16時ころでした。朱雀のブログの行列にnagiwiさんが映っているはずですね。
ここは女性ばかり、しかも立派なお墓ですね。
「古墳めぐり」のメンバーの方一人に合いました。朱雀
大きいですねえ。中はこんなふうになっているんですね。
斉明女帝は大化の改新のドラマにいつも出てくる方ですよね? 大田皇女がそばに葬られているのは、特別に女帝にかわいがられていたからなんでしょうか…なんて、考えてしまいました。
被葬者たち(多分)が有名人だから(笑)現説はものすごい人出でしたよ!
大田皇女が亡くなったあと、大津皇子たち天智天皇に引き取られたそうですし、父娘の絆は強かったのかな?
だから、大田皇女をここに葬ったのは天智天皇じゃないか、という説も新聞をにぎわしてましたよ。
息子と一緒ではなく、娘と一緒の墓に入るってどんな気持ちなんでしょうか(謎だけど)
天智天皇葬儀委員長説ありましたねー(笑)
自分の大切なヒトをすべて葬ってから大津へ遷都したってヤツ。
またまた妄想のネタが増えそうでワクワクしますわ(^^)
今回はものすごい行列でしたよ~。
被葬者が分かってると思うと、妄想はますます広がりやすいよね~(笑)
ここを決めたのが天智天皇だったとしたら、お母さんと妹と娘を一か所に葬ったって、どういう意図があったのかなあ?