風の中の小鳥

奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラム

9月27日日曜日、奈良まほろばソムリエ検定体験学習プログラムの
「斑鳩の里考古学講座…法隆寺と周辺の史跡を巡る」に参加しました。

9月末に息子一家が赤ちゃんを連れて帰って行って、ちょっと気が抜けた状態になってしまい
アップが遅くなってしまいました・・・・半分以上忘れてる気が(汗)

この日の講師は阪南大学教授の来村多加史先生。
先生の講座は
5月の「山の辺の道考古学講座~大和政権発祥の地を巡る」
6月の「平城京の四隅と古道」に続いて三度目。
12時30分という中途半端な時間に(笑)に斑鳩町役場前に集合、
斑鳩町役場~藤ノ木古墳~法隆寺西伽藍~大宝蔵院~夢殿
~仏塚古墳~史跡三井~中宮寺跡~法隆寺門前
全行程6キロを徒歩で、というコースです。

真夏のような日差しの中を住宅街を抜けると、ほどなく藤の木古墳が見えてきます。
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藤ノ木古墳は6世紀第四半世紀の横穴式石室を持つ直径48メートルの円墳。
1985年に発掘されたんですが、何と未盗掘で、しかも、横向き(!)におかれた石棺の中から
二体の遺骨と、金銅装鞍金具などの馬具類、冠や沓、金銀の玉類など大量の副葬品が見つかって、大騒ぎになりましたね。
二体の遺骨は穴穂部皇子と宅部皇子か?という説がありますが、
最近、一つは女性では?という記事を新聞で読んだような。
私的にはその方が面白くて好きですね☆(好みの問題か?)(笑)
ここで出土した、きらきらした歩揺がいっぱいついた沓のレプリカが
橿原考研博物館の入り口に飾ってあったと思います。
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中には入れませんが、見学者を感知して内部に明かりがともるようになってます。
このそばには石棺が置いてあったんだけど、今は撤去されて見られません。
先生曰く、「またおいてください~」と町役場に頼んでください、とのことでした(笑)
この古墳が未盗掘だったのは、法隆寺に対する尊敬があったからかも。

住宅街の中の細い道を歩いて行くと、法隆寺西大門に到着
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法隆寺の再建非再建論争はあまりにも有名ですが、
現在の法隆寺は再建で、これ以前に若草伽藍があったというのがほぼ定説になっています。
また、それ以前にここには聖徳太子の住まいであった斑鳩宮があって、
太子は飛鳥からここに通っていたとも言われています。
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これは、西大門横の南向きの道ですが、大きく湾曲しています。
斑鳩の宮と若草伽藍は、発掘調査などから、方位が西に振れていることが分かっているんですが、
これは、飛鳥と斑鳩をつなぐ道を基本に引かれた方位だからだそうで・・
この道は、再建時の方位ではなく、その若草伽藍の方位に従って伸びてます。

西大門を入ったところには、国宝の西円堂や西室、三経院などがあります。
この写真は西円堂。
乾漆造りの薬師如来があって、峰の薬師として信仰を集めています。
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西院伽藍に入ると、修学旅行でしょうか、学生服の群れがいっぱい(笑)
金堂の修復は終わって、今は大講堂に覆屋がかかってました。
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五重塔の前には礼拝石というものがあるんですが、
昔の人はここに跪いて塔をふし仰いだとか。
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礼拝石から見るとこういう風に見えます!
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西院の伽藍建築は、昭和に入って、建物を創建当時の姿に戻すことを前提に修理が行われましたが、
慶長、元禄に行われた修理も重要な文化財なので、
たとえば金堂の龍の柱や塔の裳階などは、そのまま残されています。
また、いわゆる『天平の甍』の美しくカーブを描いた屋根は、
西岡常一さん(最後の宮大工と言われた方ですね)が「軒が下がる」と反対されて、
あんまりカーブされなかったとか。
大工さんが学者さんより強かったのね~。

僧坊を改築した聖霊院(下の写真)や綱封蔵という倉庫を見た後、
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大宝蔵院へ。
ここには、私の大好きな夢違観音や、仏壇の元祖と言われる橘夫人厨子、救世観音、
玉虫厨子、百万塔、五重塔の雲肘木、雲斗などなど、お宝がいっぱいです…

大宝蔵院から東大門を通って、夢殿へ向かいます。
東大門は三棟造りの八脚門。
ここだけではありませんが、法隆寺の土塀は、版築という技法で作られており、
板で塀の土を打ち付けて固めてあります。塀の縦の線は板の幅ですね。
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これは版築を修理した時に打ち付けた板の木目の模様。
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東大門を出たところの北行きの道も、夢殿へ向かう道と直角に交わるのではなく、
若草伽藍と同じ方位で湾曲しています。
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かの有名な法隆寺夢殿。
夢殿の基壇は唐の天壇をモデルにした八角三成檀。
柱も礎石も八角なんですよ~。
聖徳太子って、当の皇帝に模せられるほど尊敬されてたってこと・・・・
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夢殿北の絵殿。
この絵殿を修理した時、下層から斑鳩宮の掘立柱建築が発見されました。
このあたりに斑鳩宮があったんです!
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法隆寺を出て仏塚古墳へと向かいます。
この古墳は風水にかなったところにあるらしく、藤ノ木古墳によく似た造りだそうで
膳氏のものかも、とのことでした。
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田んぼのあぜ道を20人づつ一列に歩いて行くと、入り口があります。
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古墳の中。
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ここから昼なお暗い山道を少し歩くと、
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なんとまあ、法輪寺の五重塔が見えました・・・
まさか、こんなところに法輪寺に通じる道があったなんて…・この道、好きです!

このあたりは三井という集落だそうで、
これは、聖徳太子が我が子の産湯の為に掘った井戸が三つある、というところからきているとか。
その三つの井戸の一つがこれ
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史跡に指定されてます。
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法輪寺は創建時は三井寺と言ったそうで、瓦にも三井寺と書かれてますね。
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こちらの瓦には法輪寺と。
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法隆寺、法輪寺、法起寺、三つのお寺に共通する『法』の字は、「仏法」の「法」。
この地は仏法が遍く広がった地だったんですねえ。

法輪寺から中宮寺跡へ向かいました。
法隆寺の若草伽藍と同時期に創建された中宮寺は、室町時代に現在の場所に移されたとか。
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田圃の中の青いブルーシートの下が中宮寺跡です。

横断歩道のない道をエイヤっと渡って(笑)細い道をぶらぶら歩き、法隆寺に戻り、
解散しました。

秋とも言えないような暑い一日で、結構疲れたのと、往路にはさっとあったバスが
帰路にはなかなか来なかったのと、道路が渋滞したとで、
家にたどり着くのに、ずいぶん時間がかかりました…

法隆寺には時々行きますが、藤ノ木古墳にはずいぶん久しぶり。
住宅が増えてるのにびっくりでした!
それに、初めて歩く林の中の道がとても素敵で、ぜひまた歩きたいと思います。

ただ・・・
来村先生に頂いたレジュメは、詳しい地図と盛りだくさんな資料が入ってるんですが、
A4表裏にびっしり印刷されてて、しかも、藤の木古墳の横に仏塚古墳が書いてあったりと、
ちょっと読みにくく、
お話を聞く時にも探すのにひと手間かかるし、後で見直す時も分かりにくい…
移動した時系列で纏めてもらえると助かるんだけどなあ…
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by nagiwi | 2009-10-05 12:17 | まほろば検定 | Comments(8)
Commented by yuzukakio at 2009-10-05 19:26
行ってこられたのですね。
私は今度の日曜日の11日に参加予定ですが、
予想していた以上に多くの場所を回るみたいで、
楽しみです。

斑鳩は交通の便が良くないので、
あまり訪れる機会が少なく、
法隆寺はスクーリングの「美術史特殊講義」以来で、
その他は、小学校か中学校の遠足で行ったかもしれませんが、
興味を持ってから行くには初めてです。

このコースは3回ありますが、
結構参加者は多そうですね。
Commented by nagiwi at 2009-10-05 20:32
ゆずさん
アップが一週間以上も遅くなってしまって、記憶をたどりながらまとめたので、怪しいところも多々あると思います(汗)
間違いがあったら指摘してくださいね~!

法隆寺からJRへのバスは一時間に3本~4本あるんですが、近鉄の筒井駅行きは2本しかないし、夕方は道路が混雑して遅延するので、とっても不便です。
筒井から斑鳩町役場行きは15分足らずだったのに、帰りの法隆寺から筒井駅は二倍近くかかってしまって。
バスの待ち時間を加えると一時間以上かかりましたよ。
帰りはJRのほうが無難かもしれません。
Commented by かすみ at 2009-10-06 09:21 x
「法隆寺」修学旅行のとき冷たいものにザワッときて、それから敬遠
してました。けど近年ようやく受け入れて貰え、それから足しげく
通ってます。「藤ノ木古墳」はこの春、公開に遇えました。そうか、
法隆寺の側だったから盗掘に会わなかったのか。納得。
いつもながらの「なぎ流解説」とってもいいです、ありがとう。
Commented by lilakimono at 2009-10-06 12:33
今回もまた居ながらにして奈良の歴史のお勉強をさせていただきました!
ありがとうございます。

古墳の中、アップにされた画像を見てスッと首筋が寒くなるような感じがしました。

これで、固有名詞などしっかり覚えていられれば良いのですけれど・・・・
(不肖の観光客ノリ読者で済みません~)
Commented by nagiwi at 2009-10-06 21:03
かすみさん
ザワッ・・・・もしや、聖徳太子の霊が??と梅原猛さんなら仰るかも…
藤ノ木古墳のあたりは法隆寺の寺域の中だったそうですし、盗掘はしにくかったのだろう、と先生がおっしゃってましたよ。


Commented by nagiwi at 2009-10-06 21:07
りらさん
法隆寺にご一緒する前にもっといろいろ知ってたら、もう少しいご案内ができたと思います…

古墳って、お墓ですものね~、不気味なはずなんですが、中を見るとうれしくなってしまうという、罰当たりな私です(汗)
そのうち、なんか天罰を受けるかもしれませんね。
Commented by marie004 at 2009-10-06 21:48 x
藤ノ木古墳というと、棺が二つと宝物が見つかった古墳ですか?
一時すごいブームでしたね。皇子二人は皇位争いに負けた皇子さまでしたっけ? きっと怨念が…
男女二人という説のほうがロマンチックですね。法隆寺の寺域というと、聖徳太子の関係者でしょうか。 該当する人、いましたっけ?
民主党が政権をとったので、古墳が発掘できるのでは、という記事を読みました。そうなったら、いっぱい古墳の中を見たいですね。
Commented by nagiwi at 2009-10-07 23:57
marieさん
そうそう、その古墳です☆
未盗掘の石棺の中から出た沓や冠は、金色のきらきら輝く飾りをいっぱいつけてたんですよ!
一体だれが被葬者なんでしょうね。
あちこちの古墳をみんな調べたら、ものすごい大発見とかありそう…
日本史が書き換えられるかも。
ああ、調べてほしいなあ☆
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